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民俗クッ「済州島4.3事件」、東京と大阪で大盛況

 貧しくても平和で美しい済州島。しかし、日帝からの解放(45年8月15日)の一瞬の喜びを暗転させた48年の4.3事件が悲劇の始まりだった。米軍の指揮の下、軍警、反共青年団などによる討伐作戦で、集団虐殺(ジェノサイド)が行われ、3万人とも8万人ともいわれる無実の島民の命が奪われた。

 4月24日と27日、東京日暮里サニーホールと大阪森ノ宮ピロティーホールで行われた記念講演と民俗クッ「済州島4.3事件とその希望の始まり」には、1700人もの観衆が詰めかける盛況となった。東京で講演した姜昌一・ウリ党国会議員は、昨年、盧武鉉大統領が済州道を訪れ、公式謝罪したことに触れ、「虐殺と悲劇」の島から「平和と人権」の島へと力強く歩んでいかなければならないと力強く語った。民俗クッには済州民芸総のメンバー16人が出演し、島に永く伝わる伝統的なシャーマニズムや民謡で感動的な舞台を作り上げた。4.3事件の死者供養も行われ、その際に会場から寄せられた11万4000円は、済州民芸総から平安北道・龍川駅爆発事故の被災者に送られた。また、ロビーでは被災者救援の募金も行われ、20万5383円の支援金が寄せられた。

[朝鮮新報 2004.5.7]