〈朝鮮歴史民俗の旅〉 パンソリ(1) |
パンソリは朝鮮王朝後期に庶民が始めた芸能。パンは広場(舞台)、ソリは唱(歌)である。王朝時代の庶民芸能には仮面劇や人形劇もあったが、芸術性や人気度においてパンソリに勝るものはなかった。 パンソリは日本の浪花節に比較されることがある。ともに庶民的な芸能であり、一人の歌い手が一人の伴奏者をともなって歌い語るという共通点もある。その伴奏だが、日本は三味線、朝鮮は太鼓である。パンソリは歌い、語り、無言劇(マイム)によって演出される。独演による劇芸術でもあり、叙事詩の詠唱的要素を持った特異な芸能形式といえる。 パンソリは18世紀の初頭、朝鮮中部以南地域に始まる。社会の一大変革期であったこの時代。商業が盛んで富裕な平民層が台頭していた。彼らは儒教の束縛から逃れようとする一方で、型にはまらない自由でユニークな芸能を求めた。パンソリの出現にはこのような背景があった。江戸末期、商業都市大阪で浪花節が登場するのに似ている。 その起源に関しては諸説あるが、巫女の「クッ」から発生したというのが一般的だ。朝鮮南部は世襲巫女が多い地方である。彼女たちは巫楽の伴奏とともに、ほとんどパンソリと変わらぬ曲調と語りで祈祷歌を歌っていた。その独特の歌いや語りが庶民風に転化される中で、伝統的な公演芸術の一つとして脚光を浴びることになった。歴代の名手の多くが全羅道地方の世襲巫女家庭の出身であったことも、この説の根拠の一つになっている。 パンソリは物語に節をつけて歌う唱劇である。一人の歌い手が鼓手の打つ長短(拍子)に合わせて、一人で長いストーリーを歌い、語り、演じる。演唱の基本は、@ソリ(唱)Aアニリ(台詞)Bバルリム(所作)の3つ。これらを使い分けながら演じられる。パンソリの唱の音楽的表現は複雑で、平調、羽調、界面調の3種がある。これらはさらに細分化され、喜怒哀楽や情感によって使い分けられる。内面的な苦しみや激しい慟哭には界面調が、威厳や荘厳などの格調の高さには羽調が、ノーマルな状態では平調が用いられる。 パンソリの発声は巫楽と共通する。鬼神にも通じるように五臓六腑から声を絞り出す。叫び声、唸り声、轟き声に加え、静まり返ったような低音の声を歌い手は発声する。まさに五感を揺るがす声である。 パンソリの発声のすごさを物語る小噺がある。 「朝鮮王朝の哲宗(チョルチョン)王の時代に一人のパンソリ歌手が王宮に招かれ、『セ打令(鳥の声色)』を披露することになった。これがあまりにも迫真に迫っていたので、ソウル中の鳥が王宮に群がり、都が一瞬にして暗闇になってしまった。そこでこの歌手は全身に力を込めて喉から絞り出すような声で雷を呼び、大雨を降らせた。鳥たちはいっせいに飛び立ち、王宮の空は快晴となった」と言われる。 「喉を壊さねばパンソリの歌い手にはなれない」という言葉がある。パンソリの歌い手たちはその声を得るために死にものぐるいで練習した。練習場に選ばれるのは決まって大滝のある所。滝の轟音を前に声を張り上げる。血のにじむ喉を塩水でうがいし、そしてまた大声で叫んで血を吐く。声帯を壊すまで数年の歳月を要したという。こうして彼らはパンソリの発声術をものにしていった。 歌い手たちには歌とともに身振りも必要だ。これをバルリムともノルセとも呼んだ。場面によっては、地を這うように苦しみ、もがき、または鬼の血相で怒り狂い、はたまた鳳が空を舞うように喜びを全身で現す。その所作が非常に舞踊的であることから、一流の唱者は一流の舞踊家でもあったと言われる。 パンソリの主役はもちろん歌い手であるが、伴奏を受け持つ鼓手の存在も大きい。鼓手は観衆の状況を的確に判断し、長短の節回しで歌い手を巧みにリードし、雰囲気を盛り上げ、観客との調和を図ることに努める。場合によっては「チョッタ」「オルシグ」などと自ら掛け声を発し、ドラスティックなまでに場面を展開していく。浪花節で三味の弾き手が「イヨウッ」という掛け声を発するのに似ているが、パンソリの鼓手は単に勢いをつけるだけでなく、歌い手と一体になって掛け合いに応じるのである。 では、パンソリの中味、内容はどんなものであったか。 浪花節では軍書、講釈、物語などを下地に、義理人情や出世に至る数奇な運命を、簡潔にまとめて語られる。これに対してパンソリの題材は民間の説話が下地になっているが、説話を話として伝えているだけではない。それをさらに再構成して脚色し、細部に描写を加えて一つの小説に仕立てたのである。例えば、「沈清歌」は盲目の老父に孝行しようと娘が身売りする話。「興甫歌」は兄弟の温かい友愛を語っている。 「春香歌」は節操を守った女性を称えた物語であった。当時人気を博した一二マダン(科場)は、いずれもパンソリの台本であると同時に、完成された小説でもあった。 パンソリの歌い手たちには、それぞれ得意のレパートリーがあった。これをそらんじて聴衆の前で歌ったのだが、歌い上げるのにおよそ7、8時間を要したといわれる。日本の浪花節は長くても4、50分。パンソリが長編小説に節をつけて披露したものであったからだ。(朴禮緒、朝鮮大学校文学歴史学部非常勤講師) [朝鮮新報 2004.5.8] |