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〈済州島4.3事件、事件56周年講演と民俗クッ〉 深い感動と熱気広がる場内

 既報のように4月27日、大阪森ノ宮ピロティホールで「済州島4.3事件」56周年講演と済州民俗クッ(巫祭)が同実行委員会の主催で開かれ、約1100人が会場を埋め尽くす大盛況となった。

美しい平和な島で力を合わせて働く農民たちの喜び

 講演に先立ち、事件の犠牲者を悼んで一斉に黙祷。続いて共同代表の詩人・金時鐘さんがあいさつした。

 金さんは事件が「米軍主導による祖国分断固定化を目の当たりにして起こった人民蜂起」だと述べて、「米軍の指揮の下、展開された焦土化作戦と島民の無差別殺戮の責任は米政府にある」と断罪した。さらに、米軍政に保護された親日派の蠢動についても厳しく指摘。「この凄惨を極めた大虐殺は米国の正義と自由の本質を物語るものであり、現在イラクでも民衆に対して同じ惨劇が繰り広げられている」と激しく非難した。

 続いて梁祚勲「済州島4.3事件真相調査企画団」首席専門委員(国務総理直属)が講演した。

 「冷戦化で南の歴代軍事政権による絶対禁忌の弾圧、隠蔽政策をくぐり抜けて、この事件の真相究明運動がソウルで、済州島で、そして日本で続けられた。そして、ついに昨年10月31日、盧武鉉大統領が済州道を訪れ、国家権力の過ちについて遺族と済州島民に公式謝罪した」。氏がこのように話すと息をつめて聞いていた場内には静かな熱気と感動が溢れ、割れるような拍手が送られた。

犠牲者の霊を慰めるクッ

 続いて舞台の巨大なスクリーンに映し出される美しい済州島の風景を背景にして、金秀烈・済州「民芸総」会長が自作の詩「ひと抱えの野の花として生きて」を朗読すると会場の隅々からすすり泣きの声が聞こえてきた。

 続いてスクリーンは一転して、慰霊祭の場面や米軍の指揮の下、軍警、西北青年団による過酷な焦土化作戦を映し出していく。そして、舞台では4.3事件で殺された口のきけないサマニと、夫を殺され生き残ったハルマンが登場、なぜ、殺されなくてはならなかったのか、それぞれの無念を絞り出すように語っていく。

 そこに済州島のシャーマンである神房が登場し、無念の死を強いられた死者たちの霊を慰めるクッを行った。すると舞台に設けられた祭壇の前に会場のハルモニたち約100人が列を作り、お金を供えた。このお金は11万4000円にもなり、終演後、出演者の総意によって平安北道・龍川事故被災者に送られた。

 そして舞台は終幕。出演者と会場が一つになってクッをしめくくる民謡を歌い亡者をあの世へと見送る「その希望の始まり」へ。

ぎっしり埋まった会場は深い感動に包まれた

 作家・金石範氏はこう語ったことがある。「政治が歴史の記憶を抹殺して闇に葬り、その恐怖の中で自らの記憶を殺して死とぎりぎりの忘却の底で生きてきたのが、済州島民である」と。

 半世紀が過ぎて虐殺された人たちが生き返ったのではない。しかし、今回の4.3民俗クッは冷戦時代の傷を負ったまま、虚空にさまよっている亡霊たちを慰め、亡者は生者たちの中で息を吹き返し、蘇り、民族の和解と統一を実現しようとする歴史の前に立っていることを実感させた。

 大阪市鶴見区総聯放出分会の崔貞淑さん(70)は友人の黄英子(60)、車貞子(64)さんらと連れだって観覧しながら、「済州島4.3事件についてはおぼろげながら知っていたが、その真相究明と正義の回復のために多くの人たちが命がけで闘ってきたことを公演で知り、深い感銘を受けた。犠牲になった多くの島民が願っていた民族の統一めざして力を合わせていかねば」と涙をぬぐいながら語った。(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2004.5.12]