人間はみな平等なんや |
大阪市生野区の教師 佐藤典子さん
「済州島4.3事件を考える会」の1人。普段は生野区内の公立中学校の先生。戦後ずっと生野の横丁に住み、在日同胞らと肩を並べて大きくなった。 「在日の旋盤工のおじさんたちの油まみれの姿や真っ黒になって一生懸命働いていた姿をよく知っている。そんなおじさんたちにかわいがってもらった」 佐藤さんには痛恨の思い出があった。「父は在日の人が大好きで、生野の街を生涯離れようとしなかったのだか、私はそんな父に『なぜ、うちは引っ越さないの』と聞いたことがあったのです」。 その時の悲しそうな父の顔が忘れられないと言う佐藤さん。「人間は平等なんや、上を見て生きるのではなく、正直に生きていくのが一番やと諭してくれた」。 しかし、中、高時代は学校の友人たちにどうしても生野に住んでいると言えなかった。「幼なじみの朝鮮の友に『朝鮮人のくせに』と悪罵を投げつけたのもその頃。父から激しく怒られてショックでした」。 そんな自分を見つめ直す過程で、日本社会に蔓延する民族差別の根深さに気づき愕然としたという佐藤さん。やがて、大学を卒業して教師になって10数年が経った頃、ソウルを訪問。 「植民地時代の爪痕を残す歴史を肌で感じて、本当の日朝の近代史を知らねばと思った」 そのできごとを契機に、朝鮮語を学び、さまざまな運動にも加わった。「かつての大日本帝国の亡霊が蘇ったかのような今の日本の現状に強い怒りを覚える」。 [朝鮮新報 2004.5.18] |