〈本の紹介〉 「客人(ソンニム)」 |
38度線のすぐ北側に位置する信川。この町には「米帝良民虐殺記念博物館」が置かれていて、朝鮮高級学校の祖国への修学旅行のコースにも組み込まれている。ここに展示されているのは朝鮮戦争中虐殺された人々の毛髪、焼けた靴や衣服などである。ナチスの蛮行を世界に伝えるアウシュビッツを彷彿させるものであり、身の毛のよだつ生々しい残忍な犯罪の痕跡が展示されているのだ。 朝鮮戦争を前後して米軍とその指揮下にあった韓国軍によってなされた残虐行為。近年、済州島、大田、大邱、居昌、老斥里などにおける一般住民への無差別虐殺などの実相が、次々と明らかにされてきた。これらを永遠の「タブー」として隠蔽、抹殺してきた国家犯罪に、ついに真相究明の光が当てられ、現代史を正しくとらえ、再定立しようとする大きな動きが始まっている。 信川大虐殺をテーマにした本書の登場もそうした劇的な時代を象徴していると言えよう。「作者黄ル暎ならではの卓越した文章技法…、学術書であれ、文学作品であれ、朝鮮戦争を描いた記述の中でも、その惨劇の実態をこれほど鋭く抉りだしたものは他に類例がない」と訳者・鄭敬謨氏に言わしめた作家の稀有な力。読者は歴史の再定義と共に、その地獄絵のディテールの激しい衝撃に耐えねばならない。 それを可能にしたのが、朝鮮固有のシャーマニズムコンス(口寄せ)による技法の駆使であるが、この物語においては、幽明を異にする生者と亡者が、過去と現在の時間の距離を超えて登場し、それぞれの立場から回想と現況を語り合う。私たちは作者が設定したそのタイムマシーンに乗って過去に溯る旅を縦糸として、それぞれの異なった立場から得た異なった経験を横糸として、まるで一反の反物を織るような複雑な世界に踏み込んでいく。 物語の核心はこうだ―。信川で悪逆の限りを尽くすクリスチャンらは、米軍を「自由の十字軍」だと称して、パルゲンイ(共産主義者)たちを見境もなく駆逐していく。米軍の北進撃とともに南から北上してきた野獣のような反共右翼青年団らと共に繰り返す殺人と強かん、白色テロ…。まさに信川の大殺戮が、米帝による朝鮮侵略を背景に同族によって断行されたことが白日の下に晒されていく。血で汚れた彼らは、その後「越南」し、何食わぬ顔で一生敬虔な信者面をして「李承晩政権以来の歴代独裁体制」に組し、親米反共勢力を形成して、祖国の統一を妨害してきたのだ。自らの手で南の社会に潜む「背徳漢」を炙りだそうとする作家の強い気迫が小説全般に脈打つ。 タイトルの「客人」は、中世の朝鮮民衆がシルクロードのかなたから渡ってきた天然痘を「西病」として認識し、恐れて呼んだ俗称。作者は解放後、朝鮮半島を舞台にして格闘を演じ、大きな傷を残したキリスト教とマルクス主義は、共に外部から入ってきた「客人」だと見なす。本書の執筆は歴史的な南北首脳会談が実現した2000年6月頃から始まった。朝鮮半島で冷戦の氷が溶けはじめてなお、改めて作家が痛感するのは「『客人媽媽』は依然としてアメリカ帝国だということだ」(あとがき)。 今も世界を支配する「米=客人」の横暴。そのグロテスクで醜悪な本質を撃つ衝撃的な作品。(黄ル暎著)(朴日粉記者) [朝鮮新報 2004.5.28] |