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〈本の紹介〉 「『非国民』のすすめ」

 最近、本屋に行けば「武士道」という本が平積みされているのがやけに目につく。

 著者は新渡戸稲造。そう五千円札の、その人である。

 1900年アメリカにおいて英語で出版されたこの本は、日本人は劣った民族などではなく固有の精神文化、倫理体系を持った「立派な文明国」の国民であるということを欧米人に伝える上で、大きな役割を果たしたという。

 しかしそれはそうだとしても一世紀を経た今日においてなぜ、「武士道」が平積みされるのか…、斎藤貴男氏の「『非国民』のすすめ」はそのタイトルからして「武士道」がもてはやされる流れに真っ向から立ちはだかろうとして出された本と言える。

 本書は住基ネットや「教育改革」「ゆとり教育」の持つ本当の意味や石原慎太郎や麻生太郎の妄言、権力のプロパガンダに堕したマスメディア、民族学校への大学受験資格問題、朝鮮バッシングといった問題をとりあげながら、それらが日本を海外派兵もできる「衛生プチ帝国」とならしめ、日本人をその「よき臣民」とならしめんとするこの国の権力者たちの思惑と不可分に結びついていること、そのための大事な構成要素となっていることを教えてくれる。

 とりわけ戦後日本社会における個人主義というものが自己の責任や他者への想像力、配慮といったものが伴った本当の意味での「個」としての確立という形まで成熟しないまま、「生活保守主義」と表現される非常に近視的、利己的なものに陥っている、こういったレベルの個人主義は国家権力といったものに対抗するどころかむしろ簡単に絡め取られてしまう、そして実際に「国家に支配されたがる人々」が大量生産されてしまっているという指摘は説得力を持つ。

 グローバリゼーションの名のもと、アメリカンスタンダードが当然視され、企業はリストラを断行し、また安い労働力を求め海外に生産拠点をシフトしつづける。そんな中、終身雇用神話は崩れ、社会保障は削りに削られる。そこからもたらされる不安をいやし、国家や政治への不信、不満を糊塗し、あるいは他へそらすものとして、国家主義が擦り込まれていく。

 「武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である」、こう述べる新渡戸の「武士道」が世紀を越えて再びもてはやされる理由は言わずもがなである。ちなみに新渡戸は朝鮮について「朝鮮人は政治的本能が欠如し、知識的野心が無いという資質の民族」「日本はこの朝鮮という死せる国を復活させるという使命感をもって植民地経営に邁進しなければならない」と言い放っている。

 過去の歴史を清算することなく台頭してきた日本の国家主義がこの日本社会に、また在日朝鮮人をはじめ朝鮮民族にどういう影響を及ぼすのか、「『非国民』のすすめ」は、はなから「非国民」である私たちにも多くの示唆を与えてくれる。(斎藤貴男著)(金東鶴、在日本朝鮮人人権協会)

[朝鮮新報 2004.5.28]