〈朝鮮歴史民俗の旅〉 シルム(2) |
もうひとりの神様がいた。野見宿禰である。「日本書紀」に垂任天皇のころ野見宿禰と当麻蹴速が天覧のもとに力くらべをして、宿禰が蹴速の肋骨を蹴折って勝ったことが載せてある。肋骨を折ったという事実から、相撲ではなくテコンドーであったのだろうという説もなくはないが、いずれにせよこの宿禰こそ、現在でも各地に祭神として祭られている新羅の王子・天日槍を先祖に持つ渡来人であったのである。 渡来人の先祖が相撲の先祖であるなら、日本の相撲の原点も朝鮮半島・高句麗にあったといわなければならない。皇極天皇が百済の使臣の歓迎に相撲を披露したのは、相撲に両国の文化的共通性を見出していたからなのであろう。 相撲に限らずもろもろの文化が、弥生の時代から古墳時代と奈良時代に渡って、玄海灘を越えて大和の国に伝えられている。 シルムが相撲となって日本の風土に根づくと、神道や武士道など日本的文化のなかで独自の道を歩むことになる。力士が塩をまく儀式は、神道のみそぎ・祓いからくるものであったし、力士の番付は武家社会の階級にならったものであった。 武家社会で相撲は、戦場における組み打ちの鍛錬に、また日常の心身鍛練に大いに奨励された。そして、江戸に勧進相撲がはじまり相撲が興行として行われるなかで、勝負の決まり手と禁じ手が成文化され、人垣のかわりに土を詰めた五斗俵を地上にならべることから、土俵という相撲独特のリングが生まれた。 ここで相撲とシルムの違いについて触れておきたい。 朝鮮のシルムには日本のような土俵がない。円形の砂場を作ってシルム場とする。壮士たちは土俵上で互いに正座し、サッパー(まわし)を両者が十分に握り合い、そのまま立ち上がる。サッパーは一本の長い布でできていて、2つの円ができるように結ぶ。小さな円は右の太腿に巻き、大きな円を腰に巻く。行司の合図でシルムは開始されるがサッパーの握り方が問題となる。有利な形に握ろうと壮士たちは納得いくまで妥協しないからである。 日本の相撲には立ち会いの妙がある。闘牛のように猛進してあたることも、それを、一瞬体を開いてすかすこともある。相手の顔を張り手で叩いて、そのひるんだすきをつくこともあれば、下にもぐって相手を浮かし、つり出しで決めることもある。 これに比べて朝鮮のシルムはシンプルである。土俵がないから押し出しや寄り切りもないし、突っ張りもうっちゃりもない。相手を投げ飛ばして勝敗が決するのである。シルムは奇襲攻撃がないから意外性に欠けるという意見がある。しかし、勝負を競い合う競技としては中味は濃厚、迫力は満点だ。なぜかといえば、シルムはシビアな力と力の直接対決であるからだ。 相撲の力士とシルムの壮士に体型の違いがある。相撲取りには肥満体が多い。ほとんどが太鼓腹で大黒さんのようなアンコ形をしている。狭い土俵で一瞬の勝負を競うのに体重の重さが強力な武器になるからである。 相撲がアンコ形ならシルムは筋肉質である。シルムは持久力を技術と同等に重要視する競技である。レスラーのようなスタミナがシルムには要求される。瞬間的パワーを武器とする相撲には巨漢が求められるが、シルムに必要とされる体型は、筋肉の盛り上がり、とりわけおなかの周辺と肩から胸にかけて発達した筋肉質である。シルムの壮士にも巨漢はいる。しかし決して肥満体ではない。 シルムは3本勝負によって勝者を決める。力の差があれば余力を残して負かすこともできるが、実力者同士ではそうはいかない。死力をも果たさなければならない。しかも3番続きだ。 このシルムに理想的な体型を施した彫刻が新羅の古都・慶州にある。有名な仏国寺の裏手にある石窟庵。そこに建てられた左右一対の金剛力士像である。その表情は、見る者をして威嚇するかのようであるが、全体としてバランスがよくとれて、たくましくも美しいのである。シルムの壮士の体型は今日も千数百年前も変わることがなかった。 最後に、シルムの心についてひと言、付け足しておきたい。 日本の相撲は「心、技、体」という言葉で特徴づけられる。これに対して朝鮮のシルムは「太極」の気の思想をモットーとする。「太極」の思想とは何か。朝鮮儒学の巨星・徐敬徳は次のように述べている。 「天地の開闢の時、世界にはエネルギーが満ちていた。それは、空となり地となり山となり野となった。静かなることから動が始まり、その方向は理によって定められた。理をもって気を治めれば、大自然といえども人知に叶うものである」 「太極」の思想とは、無限大のエネルギーを持つ自然とともにありながら、自然に依拠し自然を利用し、そして自然の力を取り込んで生きる術である。 朝鮮のシルムの技には無理がない。宇宙自然の無限のエネルギーを取り込み、その作業を利用して技に転化させるのである。 日本の相撲取りには大柄が多いといった。相手をねじ伏せるには大きいほうが有利だからである。しかし、朝鮮のシルムでは体の大きさや体重の重さが、勝利の決め手になるのではない。小さくとも気を制する者が勝者となる。朝鮮のシルムの醍醐味は「小はよく大を制する」にある。(朴禮緒、朝鮮大学校文学歴史学部非常勤講師) [朝鮮新報 2004.5.29] |