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〈朝鮮歴史民俗の旅〉 時調(2)

 美意識と感性の違いが日本と朝鮮にあると言った。時調に限らず朝鮮人は理詰めで迫る。形よりも中身を重んじ、中身は濃厚であるほどよしとする。

 これに対して日本人は、中身も大事だが、まず形にこだわり、その形に見合った中身を選んで入れようとする。能も茶の湯も、武道の世界でさえ様式美にこだわる。そのため時調は、日本人の感覚では風情のない理屈のかたまりのように感じられるのであろうし、逆に朝鮮人にとって俳句は内容のない空虚な語呂合わせに過ぎないと感じられるのかもしれない。

 松尾芭蕉に次の一句がある。
 夏草や兵ものどもが夢のあと
 
 芭蕉は、夏草におおわれた原っぱに、古き時代、雄叫びを挙げて戦った源氏と平家の武者たちの姿をとらえた。それは、時間と空間を乗り越えた一瞬の出来事である。俳句の醍醐味はこの瞬く間もない鋭さにあるようだ。しかし、朝鮮の時調はそういうこととは無縁である。同じ懐古調の時調を見ることにする。
 
오백년 도읍지를 필마로 들아으니(オベンニョン トウプチルル ピルマロ トゥラドゥニ)

산천은 의구한데 인걸은 간데업네(サンチョヌン ウィグハンデ インコルン カンデオプネ)

어저브 태평영월은 어제런가 하노라(オジョブ テピョンヨンウォルン オジェロンガ ハノラ)

 五百年の都、匹馬で駆ける
 山川に面影あれど、人傑は無し
 嗚呼、泰平の歳月は、いずこに行きしか
 
 作者は高麗の遺臣・吉再である。王朝五百年の栄華を懐かしみながら詠ったこの時調に、「国破れて山河あり 城春にして草木深し」の思いが見え隠れしている。

 テーマや内容においても、制約の多い俳句はテーマが限られるが、時調には限界がない。現在、高麗末期から朝鮮王朝にかけて詠われた3千余首の時調が、「青丘永言(九九八首)」「海東歌謡(八八三首)」などの時調集に収められている。作者は国王、高位官僚、一般士大夫、妓生、庶民などさまざま、テーマも百花繚乱の感がある。

 国王と臣下の間に時調があった。国王が汝を信ずると詠えば、臣下は忠誠を尽くすと詠った。両班士大夫の意思の疎通や謀議も時調のやりとりを通して行われた。先に紹介した「一片丹心歌」は、新政権を支持せよと李成桂の息子・芳遠が送った勧誘詩に対する鄭夢周の回答であった。彼は決然と「ノー」と答えたのである。

 時調の技巧は多彩を極めた。詠嘆、叙述の技巧あり、叙情、写実の技巧も駆使される。とりわけ、客観的写実性が主観的叙情性によってろ過されて生み出されるその象徴的世界は、時調の技巧のなせる技であった。

 ここで黄真伊の名作「青山裏碧渓水」を紹介しておこう。

 黄真伊は開城の妓生。世の男たちが等しくあこがれた才色兼備の女性であった。この時調には次の逸話がある。

 …ある日、彼女は、碧渓守なる王族の一人が、「一介の妓生にうつつを抜かすとは両班にあるまじきこと。真の風流人に女人は不用。かくあるべきの範を示そう」と豪語してソウルを出発したことを伝え聞いた。碧渓守一行が馬鈴を鳴らしながら通りかかった。ちょうどその時、楼閣で待ち望んでいた黄真伊は、伽倻琴を引き寄せ静かに歌った。

 청산리벽계수야 수이감을 자랑말라(チョンサルリピョッケスヤ スイカムル チャランマルラ)

 일도창해라면 다시오기 어려워라(イルトチャンヘラミョン タシオギ オリョウォラ)

 명월이 만공산하니 쉬여간들 어떠리(ミョンウォリ マンゴンサナニ シィヨガンドゥル オットリ) 

 青山裏を行く碧渓水よ、流れの速さを誇ることなかれ
 ひとたび海に至れば、返り来ることあたわざる
 今宵、名月山に満るに、しばしの憩いを楽しむべきや

 黄真伊はこの時調で、碧渓守という人物を谷あいに流れる碧渓水に、そして自分の妓名である名月を中天の月に例えて歌った。その意味するところは、「そんなに急いでどうするのですか。一度海に注がれてしまえば二度と戻ることはできません。ちょうど今宵は月も明るく静か。しばし足を休めて憩いの一時を過ごそうではありませんか」という、誘いの一首である。

 この一首は、客観的に描写されている素材が叙情的に主観化された時、時調は全く新しい象徴性をもって、人々の心に深く感知されるものであることを示している。そしてこの一首に、頑固一徹の儒学者・碧渓守でさえ心を揺るがされ、ついに黄真伊の軍門にひれ伏したという。

 朝鮮王朝の後期に時調は大きな変化を迎える。下級官吏や庶民が歌壇に登場し始めていたのだ。そしてこれによって時調の風韻も大きく変わり、詩材として庶民の生活が扱われ、描写もより写実的になっていった。

 詩定型も崩れ、変形時調、辞説時調が登場する。また、曲をつけて歌曲として歌われ始め、以後時調は文学作品として鑑賞するより、むしろ歌唱する面に関心が集まり、それはやがて音楽家の中に時調を天職とする歌人を輩出するに至るのである。(朴禮緒、朝鮮大学校文学歴史学部非常勤講師)

[朝鮮新報 2004.6.12]