随筆家・岡部伊都子さんの「朝鮮母像」 |
一人の女性として、日本の侵略戦争の原罪を背負い、そこから決して目を背けず50年あまり執筆し、発言し続けてきた随筆家・岡部伊都子さん。このほど約半世紀にわたる「母なる朝鮮」への思いを込めた随筆集「朝鮮母像」を出版した。本書カバーには岡部さんの朝鮮への万感の思いをつづった次のような言葉が記されている。「愛好家は一びんの李朝白磁を手にいれるためには、惜しみなく万金を投じる。だが、その壺にひそむ涙は思わぬ。そして、朝鮮芸術をこよなく愛し尊びながら、現実社会では朝鮮人を見下げ、苦しめつづけている」。 1945年以来、執筆生活に入った岡部さんは、京都で暮らし、美術、伝統、自然などにこまやかな視線を注ぎながら、戦争や沖縄、差別、環境などの問題を鋭く追及する執筆活動を続けてきた。朝鮮の統一や在日朝鮮人問題にも心を寄せ、惜しみない支援を続けている。著書は約120冊。 本書には50年代からごく最近まで、朝鮮に触れて書き重ねてきた文章の中から37篇と03年に行われたソウル延世大学での講演が収められている。 岡部さんの文章を貫く太い幹。それは日本文化の祖流こそ「母なる朝鮮」であるという深い思いであり、それを蹂躙し、ねじ伏せた日本への強い怒りであり、差別への悲しみである。 「朝鮮のみなさまへ」と題する次のような一文が胸を打つ。 「京都の祖流は朝鮮半島です。朝鮮民族には、どんなに感謝していいかわかりません。昔の『日本書紀』時代の絵とか書など、そういうものの展覧会へ行くと、朝鮮半島から来た文化、造形、それから絵が、ぎょうさん展示してあります。その絵の中には、チマ・チョゴリが描かれているのですよ。その絵を見ると、日本の着物の文化が、チマ・チョゴリから生まれたということがわかります。ほんとうに、日本の祖先がどこか、はっきりしているわけです。そういう文化のあるところ、そういう歴史があるにもかかわらず、日本は朝鮮半島を植民地化してしまいました。『古事記』や『日本書紀』時代の古い古い時代の歴史をふみにじって、武力で朝鮮を植民地にしたのです。無礼、無礼―無礼きわまりない」
岡部さんの言葉、文章には、最初から、戦争に夫や恋人を奪われた被害者としての自己ではなく「加害者」としての「私」と徹底的に向き合い、その心の痛みをさらけ出し、差別の根源と真正面から闘おうとする迫力がある。 岡部さんは今年82歳。幼い頃から病弱だったが、その精神の強靭さは外見からはおよそ想像できない。柔らかで、ユーモアたっぷりで、飄々として…。 本書出版後、東京・四ッ谷で開かれた特別講演会「平和で差別のない社会を求めて」で演壇に立った岡部さんは「65年からずっと家に無言電話や脅迫状が来る。来る度に思うのは『私はまだ節を曲げてへんで』と言うこと。この国で覚悟せなんだら、何も言えへん。何も書けへん」 (会場の聴衆からの「半世紀も闘って来られてお疲れになりませんか」という質問に対して)「闘わないとかえって疲れる。まず自分との闘いに勝たないと生きる意味がない」と目の覚めるような即答。会場からは惜しみない拍手がいつまでも続いた。 朝鮮学校へのさまざまな差別、「経済制裁」「万景峰92」号の入港禁止を求める日本の動きにも強い危惧の念を表しながら、「本当に腹立つな」「日本の責任や。日本が朝鮮を侵略したから、解放後も二つに分断された。日本で差別が続いているのもそのせいだ。そのことを考えると辛い」。 「ほんまに、はよう北と南、差別を越えて、境界を越えて、ひとつになってもらいたいな。あんな、あんな、外国の兵隊に脅迫されるようなことはいやや。いや」 著書「朝鮮母像」では、その過去を隠蔽し、侵略の歴史を正当化しようとする日本の動きに対し岡部さんは「わたしはいのちが絶えるまで、言いたいことを言い続けます」と力強く語り、「わたしたち日本人も、人間でありたいんです。まともな人間でありたいんです」と訴えた。 該博な知識と明快な論理性。鋭い感性。岡部さんの「語り」には汲めども尽きぬ話の泉がある。 「愛情というものは魂の交歓」であると岡部さんは言う。朝鮮半島の人々と文化への深い愛を抱きながら、「在日の人たちに働いたあんな無礼はもう許されない、日本を喜びの多い国に、苦しんできた人たちの痛みを喜びに変えていくようにしなければ」と。(朴日粉記者) [朝鮮新報 2004.6.15] |