〈東アジアの藻のはなし〉 歳時風俗 |
五十猛神社
一昨年と昨年、島根県西部・石見地方の大田市に五十猛神社と韓神新羅神社を訪ねた。 五十猛神社はJR五十猛駅の東約300メートル、閑静な山手の住宅地にある。新羅と関係深い素戔嗚尊の皇子の五十猛神が主祭神。妹の抓津(抓は木偏が正字)姫神・大屋津姫神、神功皇后・応仁天皇・武内宿禰を合祀する。 第19代宮司の林治雄氏によると、神社のある湊地区には左義長(トンド)に似た神木さんの行事がある。正月14〜15日に地区の人が集まり、葉のついた太い孟宗竹(神木)を2本、淡竹を数十本、円錐形に建てて農業の神様の降臨を仰ぎ、長い杵で餅をついてみなで食べ、最後は正月の飾りなどとともに燃やす。 韓神新羅神社とグロ 五十猛神社から西へ約2キロ、昔は韓浦と言った大浦がある。五十猛港とも言い、日本海に張り出した岬に、西の朝鮮半島に口を向けた形の湾がある。ここは「八重の潮路を踏みくさみ村の礎固めんと 渡り来ませし御親の神の ゆかりの地なる この園生」と五十猛小学校の旧校歌にあるように、新羅から素戔嗚尊や五十猛神が上陸した地と伝わる。
海を望む高台に韓神新羅神社、その右奥海側に舟魂神社がある。舟魂は、琉球、新羅、日本の神話に出て来る龍神様で女神である。在日ばかりか韓国からの参詣もある。 氏子総代の重本忠幸氏の話では、祭神は素戔嗚尊と上記の兄妹。近くには、素戔嗚尊が新羅から梅を持ち帰り植えた野梅、五十猛神と大屋津姫神が別れた神別れ坂のほか、韓子山、神島、韓島等の地名が残り、抓津姫神を祀る漢女(元は韓女か)神社もある。 大浦では、正月11〜15日に綿津見大神(海神様)を迎える「グロ」と呼ぶ祭りがある。グロは、先端に葉の付いた4〜5メートルの真竹の神木を中央に建て、高さ約2メートルの囲いや天井を竹で作り、完成すると直径数bのドーム型の小屋になる。 地区の人は、朝から深夜までグロに集まり、餅をつき、スルメやイモを焼いて食べる。グロは15日朝に解体し、正月の注連縄飾りなどと一緒に燃やして行事が終わる。 グロや神木さんと似た大規模なタルチプ(月の家)と言う行事が、慶尚南道の釜山や清道にもあり、旧暦正月15日、満月の夜に、山のように積み上げた木や竹、綱引きの後の縄などを燃やす。当地が朝鮮半島と古くつながることを感じる。 神事、食事、医事に用いた海藻 石見は、柿本人麻呂が「か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を(万葉集131)」と詠んだように、海藻と縁が深く、大浦地区も海藻文化が豊かである。秋、35〜40センチに成長したホンダワラ属のジンボサ(ナラサモの大浦方言)を刈り、束にして結わいたのを、神主さんが正月に塩水を浸けて振り、幣のようにお祓いや浄めに使う。
またこの周辺では大浦でだけ、6月頃、かなり生育したササボバ(又はボバ、ホンダワラの方言)を刈り、竹竿に干して2〜3年寝かせたのを食べる。重本さんの妻、朝子さんによると、食べる時は、3時間程水に戻し、数回水を取り替え黒いアクを取り、ザルに上げて刻み、油で炒め、酒、味醂、醤油を同量ずつ入れて煮ると、保存食として夏場も長持ちする。さらにゴマをかけてまぶして食べる事もある。 また、豆腐を絞って、すりこぎですり潰し、塩と砂糖で薄味をつけ、ボバと混ぜて白和えとする。さらに、油揚げを入れて食べる人もいる。親せきに不幸があると、夕方、ボバの料理を出す。古代の渤海と縁の深い能登半島の福浦でホンダワラを利用する事は前回述べたが、福浦では豆腐の代わりに酒粕を使っている。 大浦ではヒジキも採れ、ボバと同じ食べ方をする。 ボバの他には、糸コンニャクに似たウミゾウメンを酢の物にしたり、ミルを虫下しに使うなど、多種類の海藻を利用してきたが、近年は海藻が少なくなり、朝鮮とも縁の深い神代からの文化が廃れかけているのが残念である。(濱田 仁、富山医科薬科大学医学部保健医学教室、農学博士) [朝鮮新報 2004.7.16] |