〈朝鮮歴史民俗の旅〉 風水(1) |
風水とは、大地に潜んでいる力が人々の営みの成否と禍福に大きな影響を及ぼすものと考え、その力を利用して生活に福をもたらそうとする信仰である。主に都城、寺刹、住居、墳墓などの築造にあたって、その地相を判断するのに用いられてきた。もとは中国の戦国時代に発生して体系化された。朝鮮には三国時代に伝えられて以来、高麗と朝鮮王朝を通して人々の心を捉えてきている。 風水は呪術や迷信と同義語となって、古臭いものの代名詞であった。ところが近年、風水は欧米の学者の間で見直され、環境工学や土木建築学の分野で盛んに取り入れられている。彼らは風水をフエンシュインと呼ぶ。日本でも近年「風水ブーム」が起きている。 風水を理解するうえでキーワードは「風」、「水」、「土」の三文字。「土」は山や谷などの大地を形づくり、「風」や「水」の動きを止めたり、溜めたり、流れを変える役割を持つ。「風」と「水」は、絶えず流体として動き、流れ、循環し、「気」を運びもたらす。天地が鼓動、脈動するように、気というエネルギーが「天気」や「地気」となって発散し収れんするのである。 風水説は天気と地気がよく調和した所に龍穴があると教える。龍穴は福をもたらす吉気盛んな最高の場所。これを朝鮮語でミョンダン(明堂)と言う。ミョンダンを探し当てるための方法論に、@地脈を当てる「看龍法」、A風の気を探る「蔵風法」、B水の気を探る「得水法」、C龍穴を探り当てる「定穴法」、D場所の位置を定める「坐向論」、E場所の形態を定める「刑局論」がある。ミョンダンはこれら6つの方法を多角的に駆使して決められた。 一般論として、風水説の誕生や伝播、受容には、地域的な限定があるといわれる。絶対的条件は、その地域に山と川があることと季節風が人々の暮らしに影響を与えることである。したがって、砂漠や草原地帯には風水説が根付くことがない。 風水説はもともと中国で発生したものであるが、理論の面で深く研究され実践的にもおおいに活用されたのは朝鮮である。「錦纃]山三千里」と呼ばれる国。古来よりこの国の人々は、天を父に地を母にたとえ、自然環境と調和して生きる術を心得ていた。風水の術は、それを風水といわないにしても、かなり以前からこの民族にあったものと思われる。 朝鮮の風水説は独特の国土地理観に基づいている。以下は一般に述べられている朝鮮国土に関する「風水的」説明。 「この地の生気は山の祖である崑崙に源を発している。その一つの脈が東に向かって白頭山に達し、ここを起点としたいくつもの地脈をたどって、朝鮮半島のすべての山々につたわっている。この国土の風水にもっとも恵まれる典型的な地理は、白頭山の生気の脈を受けた主山(鎮山)を背後にしてその南麓に位置し、その前方に形のよい山を望むことができ、主山から東側(青龍)と西側(白虎)に延びる二つの尾根状の山並みに囲まれるような地形である」 つまり朝鮮の風水説は、崑崙を生気の源とするが、あくまでも白頭山を主山とみなし、それに連なる山脈を想定する国家規模の風水である。白頭山はこの国のあまたの山々を従えて天高くそびえ立つ祖宗の聖山。その聖山から狼林山脈、太白山脈、小白山脈など、いく筋もの山並みが連なって骨格を形成し、山あいの谷に水が流れ川となって平野を潤し、人々に生活の場を与えている。朝鮮の風水説は白頭山を起点とした国土観に基づいて展開されるところに特徴がある。 朝鮮での風水説の本格的な展開は時代が高麗に入ってからである。 新羅末から高麗初めにかけて活躍した僧侶に道詵という人物がいた。入唐して風水を学び、さらに陰陽五行思想と易学をも駆使し「陰陽地理説」、「風水相地法」を著している。彼は、地理には場所によって衰旺と順逆があるから旺地と順地を選ぶことと、衰地と逆地は「裨補」(たすけおぎなう)して災いを避けなければならない、と主張している。 彼の時代は、契丹や蒙古族、さらに倭寇などの外患によって高麗が危機に直面していた時期で、仏教においても護国的色彩が濃厚であった。風水説もまた然りで、彼の説は多分に国を如何に外敵から守るべきか、に置かれていた。 道詵は高麗という国土を一艘の船になぞらえて、北の端を舳先、南端を艫と見なして、中央の都には帆柱を想定し、船全体のバランスがうまくとれるように、各要所に風水上の欠陥を補う「裨補」として仏塔を建て、仏像を安置すれば国家の安泰が約束されると説いていた。 高麗創建者である王建は道詵の独特な国土観を受容し風水を国家経営にも活用していた。彼は道詵が指示した要所以外での仏寺の建立を規制し、平壌を地徳のある場所であるとして、国王自ら赴いて祭祀を執り行うことを義務付けている。さらに、車嶺以南と錦江以外の地は、その形状が風水上反逆の様相を呈しているからとして、その地域からの人材の抜擢を固く禁じた。このならわしは朝鮮王朝にも引き継がれ、全羅道軽視の風潮を生んでいる。今日もその弊害が残されている。(朴禮緒、朝鮮大学校文学歴史学部非常勤講師) [朝鮮新報 2004.7.24] |