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平壌で新たな遺跡発掘、新石器〜李朝初期の数千点の遺物も

梨川里遺跡で発掘された高麗末〜李朝初期の横列式の瓦窯址 [朝鮮中央通信=朝鮮通信]

 最近、社会科学院考古学研究所の研究チームが平壌市勝湖区域にある梨川里遺跡から新たな遺跡を発掘した。

 遺跡は大同江とその支流である南江の間に形成された沖積平野地帯に位置しており、研究チームが平壌を中心とする大同江流域一帯で、古朝鮮の成立を前後した時期の遺跡、遺物に対する大々的な発掘を行う過程で発掘された。

 研究チームは30万平方メートルのぼう大な面積から遺跡の分布状態を確定した後、数年間にかけて5万平方メートルの面積を調査、発掘。

 その過程に新石器時代の土器窯址と高麗末〜李朝初期の瓦窯址、新石器時代から古朝鮮時代に至る住居址、支石墓、磚槨墳などと数千点の遺物を発掘した。

 土器窯址は平面が角取りの方形である穴蔵の底の中心に直径およそ1メートル、深さ80〜90センチの大きな火穴が設置された竪穴式になっている。

新たに発掘された新石器時代の竪穴式の土器窯址

 火穴の周辺には、当時焼き上げられた10個分の土器がそのまま残っていた。

 学者たちは、今回新しく発掘された窯址の構造とそこから出土した土器の模様からして、この窯址を平壌市三石区域湖南里表台遺跡(今からおよそ6000年前)の新石器時代の土器窯址より早い時期の土器窯址と見なしている。

 一方、横列式になった瓦窯址は焚き口と焼成室など窯の基本構造がすべて備えられており、焼成室には雌瓦と牡瓦が焼成当時のまま積まれていた。

 このほかにも梨川里遺跡からは古朝鮮時代の大規模集落址も発掘された。

 発掘された住居遺跡と住居址の重なった層序関係は、これまで大同江流域で知られたコマ形土器時代の住居址の相対年代を科学的に解明することのできる重要な基準となり、同時に古朝鮮時代の文化発展の合法則的過程を体系化できるもうひとつの枠組みとなる。

 住居址から発掘された石製の短剣、槍の先、鏃をはじめ武器類と斧、手斧、鉋の刃、鑿、網錐、紡錘車のような労働用具は、非常に繊細で洗練された当時の石器加工技術を良く示している。(朝鮮通信)

[朝鮮新報 2004.7.24]