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くらしの周辺−「韓流」≠共生社会

 最近、映画やテレビ、女性週刊誌などで「韓流」が現象化している。

 さらに「韓流」は共生社会実現の証拠だ、との早とちりな意見が受けられるほどだ。
 振り返るとキョンシー等の「中国ブーム」があったし、「アムロ」「ちゅらさん」の「沖縄ブーム」があったが、では果たしてどれほど日本社会の中で中国や沖縄に対する理解や認識が深まったのだろうか。

 ジャスミン茶や「痩せる石鹸」、ゴーヤチャンプルや泡盛、その地域、文化の関連情報、周辺情報が大量に消費されることでブームが生み出される。

 その原動力には、「消費=文化の享受」と「錯覚」させる仕掛けが施されている。

 しかしそこにおいては、決して「南京大虐殺」や「従軍慰安婦(日本軍性奴隷)問題」「在日米軍基地」が選ばれ、「消費」されることはなかった。

 政治的な理解や認識を抜きにしては語れない社会、歴史的関係性を「無化」させることでしか、「消費=文化の享受」という「ブーム」の仕掛けが成り立たないからだ。

 だから「中国ブーム」であっても中国人留学生は社会的に排他されるし、「韓流」であっても、朝鮮の統一問題や在日朝鮮人の民族学校処遇改善問題にメジャーでまっとうな関心が向けられることは少ない。

 もちろん、「韓流」を利用して僕らの運動に上手く結びつけない手はないし、そのための創意工夫は欠かせないだろうが、その本質を錯覚した「韓流」=共生社会実現の証拠という見方には眉にツバをつけるべきだと思う。(李東日、団体職員)

[朝鮮新報 2004.8.2]