〈本の紹介〉 わが魂を三八度線に埋めよ |
苦難に満ちた20世紀。 朝鮮民族はその誰であれ、一世紀以上にわたって祖国を蹂躙され、植民地、分断の悲劇を背負い、苦痛に満ちた人生を歩まねばならなかった。 数百万人の男たちが、懐かしい故郷から引き剥がされ、異郷の地で苦役を強いられた。また、数十万という女性たちも身の毛のよだつ日本軍の性奴隷としての運命を強要され、塗炭の苦しみに喘いで生きねばならなかった。 本書の筆者もそのような悲嘆の歴史から逃れようもなかった1人である。 1922年、白頭山の麓の小さな村の漢方医の息子として生まれた筆者の人生もまた、日本軍の軍靴に蹂躙された民の1人として、あらゆる苦渋と苦節が刻まれている。運命の暗転の末に筆者がたどりつくのは、出家の道であり、神学の道であった。 幼い頃から勉学の道に目覚め、満州、東京に留学、その後、台湾政治大学、東京大学大学院で宗教学を学んだ。しかし、解放後、ソウルに戻った筆者を待ち受けていたのは、勉学を収めた青年の高揚感ではなかった。 米国の実質上の占領下に置かれ、独裁政権の支配下にあったソウルで筆者はただちにKCIAによってスパイ容疑で連行され、すべての職を失うことになった。 1年後、容疑が晴れて、政府高官に推挙されても心は戻らなかった。 筆者はその時の心境をこう話す。 「植民地時代に受けた民族差別、家族との幼い日の別離。これらが脳裏に浮かんだ時、私はむなしかった。私は自分の幸せだけに生きている、何という利己主義的な生き方をしたのかと。私は自分自身が救われ、そして人を幸せに導く人間になろうと決意した」 そして、71年来日、駒沢大学の仏教学博士コースに学び、以降、居を日本に移す。そして、79年に知的障害者のために弘願寺を建立し、初代住職に就任。さらに89年にはニューヨークに飛んで、神学大学に学び、牧師となる。 92年、日本帰国後は雲水牧師として障害者たちのための福祉を実践しつつ、朝鮮半島南北を往来し、東アジアの平和と南北の統一のために身を捧げている。 82歳になってもなお瑞々しい精神。祖国・朝鮮への思いは熱く、深く、激しい。列強に踏みにじられ、分断され、苦難の半世紀を経て、今まさに和解と統一へと歩もうとする祖国。その祖国と運命を共にするのが、筆者の生涯の願いである。その志を実現すべく、筆者は近く、永かった放浪の旅を終え、祖国の懐へ帰ろうとしている。 「祖国統一」という新たな旅立の日に向かって。感動の一冊。(釋弘元著)(朴日粉記者) [朝鮮新報 2004.8.23] |