キトラ古墳天文図と高句麗の星空、星座の原図は高句麗 |
キトラ古墳天文図全体を正面から撮影した新画像が、さる7月12日、公表された。白い漆喰地に朱線で結ばれた金箔の星が輝くさまは写真でも十分美しいが、直接目のあたりにする美しさはひとしおであろう。ましてや完成当時の豪華絢爛さは想像に余りある。 金箔がいくらかでも残っているもの、痕跡だけのものをあわせて、星は約350個、星座は数え方にもよるが68個前後認められた。この中で四つの星がひときわ大きいのが目を引いた。ほかに、地平線下に沈むことのない範囲を表わす内規、1年を通じて一度は見える天域を示す外規、その中間を示す赤道、太陽が1年で周回する経路である黄道、という四つの円も朱で描かれている。これらからキトラ天文図の由来について何がわかるだろうか。 日本では江戸時代に渋川春海が日本の社会制度になぞらえた星座を新設、追加するまでは、もっぱら中国の星座体系が用いられた。朝鮮半島の諸国は日本より早く中国天文学を受容していた。キトラ天文図に描かれているのも中国星座であり、形式も中国のものに則っているから、その元になった星図(天文図)あるいは星座に関する知識が大陸からもたらされたことは間違いない。日本は古くから中国と交流があったし、また、時期によって違うが、朝鮮半島の三国それぞれと交流があり、それらのいずれの国から伝わった可能性もありうるのである。 新羅の善徳女王が瞻星台を建設した28年後に、日本では天武天皇が占星台を造っている。占星術や天体観測に星図は不可欠である。百済の僧・観勒は天文地理の書をもたらしたという。天文とは占星術のことで、星図が含まれていたことは十分考えられる。高句麗の天文学が日本に伝わった記録はないが、朝鮮の「天象列次分野之図」との関係が興味深い。 高句麗の都・平壌には石刻天文図があったが、唐と新羅の連合軍によって滅ぼされたとき、大同江に沈んで失われた。朝鮮の太祖の初年、その拓本を献じた人があり、太祖の命により書雲観(天文台)では「星象は旧図により、昏暁の中星(明け方と夕方に真南にくる星)は新測によって」1395年に天象列次分野之図を作り、石に刻んだという。朝鮮半島にはこの図より古い本格的星図は残っておらず、以後、西洋天文学が伝わるまでの星図はすべてこの図に基づいている。また、この図の拓本は江戸時代の日本にもたらされて、日本の天文学に大きな影響を与えた。 ところで、この天象列次分野之図では個々の星の大きさがさまざまで、以後の星図もみなそれに倣っており、それが朝鮮半島の星図の特徴になっていた。大きさの違いは星の実際の明るさの違いによるものではなく、その区別の基準はよくわからない。中でも数個の単独星がひときわ大きく示される。 一方、中国の本格的星図の中で現存最古のものは、蘇州に残る南宋の淳祐7年(1247)に石刻された「天文図」であるが、これをはじめとして、中国の星図では星に大きさの区別がなく、みな同じ大きさで示されている。もっとも古墳に描かれた星座には星に大小のあるものもあるが、中国にせよ高句麗にせよ(朝鮮半島の三国で星座が描かれているのは主に高句麗の古墳で星の大きさに違いがある)、キトラほど詳細かつ具体的に星座が描かれているものはないので、比較の対象は右のような本格的星図ということになるのである。 ところで、キトラ天文図で大きく表わされている四つの星は、同定について少し議論の余地があるが、いずれも天象列次分野之図でも大きく示されているものと考えてよい。天象列次分野之図は朝鮮時代のものではあるが、先に紹介したように、その星象(星や星座の形や表わしかた)は旧図によったというのだから、高句麗の石刻天文図も同じだったと思われる。キトラの星座の形は必ずしも天象列次分野之図と一致しないので、この高句麗石刻天文図はキトラの原図ではないだろう。しかしおそらく高句麗に、星座の形は右の石刻天文図とは異なるが、特定の星を大きく表わす習慣は共通するような別の星図があって、それがキトラの原図だったのではないかと考えられる。 高句麗でも中国でも日本でも、見える星については同じ星が見えているのだが、一度も沈まない範囲や一度は見える範囲というのは緯度によって違う。そのため、使用する土地の緯度によって、星図の赤道円の大きさに対する内規の円の大きさの比が異なり、緯度が高いほど内規が大きくなる。キトラの内規は緯度37度半に相当する。中国の長安、洛陽、開封などの旧都やキトラ古墳のある明日香も34度半前後なので、該当しない。ソウルの緯度が最も近いが、当時で考えればやはり高句麗の都・平壌(39度)ということになろう。 高句麗で使われていた星図が日本に伝わり、内規の大きさが明日香の緯度にあわせて変更されることもなく、そのままキトラの天井に写し取られたのであろう。(宮島一彦、同志社大学理工学研究所教授=東アジア天文史学) [朝鮮新報 2004.8.24] |