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〈東アジアの藻のはなし〉 出雲・日御碕

神話の時代

日御碕神社の神の宮。徳川家光の命令で神社全体が再建され、重要文化財。

 出雲大社から北西へ10キロ弱。神話に名高い高天原を過ぎると日本海に突き出た日御碕である。日御碕神社は岬の西にあり、300キロ西に朝鮮半島を望む。

 神社代々の宮司、小野家の先祖は素戔嗚尊五世の孫、天葺根命。現在の小野高慶氏は98代目である。

 天平7年(735年)聖武天皇勅書に、伊勢神宮は日出る所の宮で日の本の昼を守り、日御碕神社は日沈宮で日の本の夜を護るとあり、中央の尊敬が篤かった。

 祭神は、日沈宮に天照大御神。手前右側の丘、神の宮には素戔嗚尊を祀り、奥に尊の墓、隠ケ丘がある。ここは素戔嗚尊の総本社なのである。摂社に韓国神社があり、素戔嗚尊と、息子で樹木の神の五十猛尊父子を祀る。韓国神社は東面するので、素戔嗚尊父子を拝むと朝鮮半島に手を合わせる事になる。

 日本書紀には、父子は高天原を追放され、新羅国の層尸茂梨の地へ天降ったが、新羅には居たくないと言って、土器で船を作り出雲に渡った。五十猛尊は多種の樹木を新羅には植えず、日本で植えた。朝鮮では冬期オンドル(床暖房)の燃料に山の木を切って禿げ山となり、日本の山々は緑豊かだった事を神話化したのだろうか。

神事の起源と内容

和市刈神事の時の宇竜港と、対岸の権現島に渡る船橋

 社伝によると、13代成務天皇6年(西暦150年頃)正月5日早朝、1羽のカモメがいまだ潮の滴る海藻を口にくわえきて神社の欄干に掛けて飛び去ること三度、これを見た社人は不思議に思い、浄水で洗い神前に供えた。この海藻が和布(め、ワカメ)で、以後和布刈神事が始まった。出雲地方では、この日からワカメ漁が解禁になる。

 神事に先立ち、旧暦正月5日朝10時から日沈宮と神の宮で祭典がある。神饌(神様の食事)とワカメ等を神前に供え、波の音を模した楽を笛、太鼓、鉦を用いて奏し、故事に従い和布刈神事を行う旨を告げ、今年の豊漁と海上安全を祈願する。

 午後2時、本社から約1キロ離れた宇竜港の権現島にある末社の熊野神社でも、奏楽の内に常饌を供え、宮司の大漁祈願がある。その後、一ノ鳥居前で、地元の人多数が見守る中、神官がワカメを刈り、三宝に載せる。この後、約10人の裸役が下帯一つで権現島から海に飛び込み、対岸まで泳ぐ。これは古来日御碕で男のアマによる潜水漁が盛んだった事(出雲國風土記)を伝えているようで興味深い。

朝鮮半島との関係

和市刈の様子

 宇竜港は出雲風土記にも載る天然の良港で、古来風待ちの港として栄えた。日御碕神社では、素戔嗚尊や五十猛尊のような朝鮮半島出身の神様を祀り、また韓国神社が摂社として残ることから、古来この地が国内だけでなく、朝鮮半島東部の新羅や南部の加羅との往来も盛んであった事は容易に想像できる。

 私事にわたって恐縮ではあるが、日御碕神社禰宜の高木玄明・美也子夫妻から海藻ソゾ(ユナ)の澄まし汁をごちそうになった事がある。ユナやソゾは、ノリとかテングサ同様、紅藻類で、朝鮮半島ではソシルと言う。ソシルはソソルと訛り、日本では朝鮮語の子音の語尾ルが落ちてソソとなり、さらに濁音化してソゾとなったのかも知れない。

 旧暦正月、天然ワカメは日本では生育がやや遅れて小さいが、朝鮮南部では日本より成長が早く、季節が合っている。想像をたくましくすると、古代朝鮮半島南部で行われていたワカメ漁の始まりを告げる行事が、日本では和布刈神事として残っている様にも思われ、興味が深い。(濱田 仁、富山医科薬科大学医学部保健医学教室、農学博士)

[朝鮮新報 2004.9.3]