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韓富澤追悼集「魔法の手」を読んで

 民族教育に一生を捧げた教師の追悼集である。表題の「魔法の手」とは、直腸ガンであった故人を最期まで支え回復を願った夫人の祈りであった。笑い、泣き、身につまされて、何度も本を置いた。

 面識のない故人は、あまりに近く、また遠い人だった。

 西東京第2の校門をブラリと入ってくるような気がした。怒られた生徒の話、声をかけられると今度は何事かとドキドキしたというオモニ会会長さんの話、これは、ウリハッキョのあちこちで繰り広げられている光景だ。サッカーの指導をしたり、授業をしたり、前庭で日本の学校の先生達と焼き肉を食べたり、学校運営のために夏祭りの売店に出す金魚を仕入れに行ったりする姿をほほえましく鮮明に思い描くことができる。

 しかし、故人はまた遠い人だ。

 自ら教えたバレー部を、サッカー部を優勝させ、学科成績トップを誇り、学校のバザーを大規模の地域バザーにし、たくさんの日本の人たちと交流した。一つの結果を出すためにどれくらいの努力とエネルギーを注いだことだろう。「死ねばいくらでも休める」が口癖だったという。

 また、深い見識と人間的な魅力で、多くの人々の心をつかんだ。ウナギやテナガエビを捕りに行った話ではどんなに笑ったろう。そしてどんなに泣いただろう。

 何人もの人たちが書いている。「あなたに出会えて幸せだった」と。

 周囲の人々を魅了した故人の人間的な魅力を、この追悼集に寄せられた多くの日本の人々の文章からも思いはかることができる。

 死去する2カ月前まで日本の人々に請われて講演し、学校で子ども達を見守り続けた故人を、突き動かしていたものはなんだったのだろう。

 葬儀場を埋め尽くしたたくさんの人々、子ども達の涙がそれを物語っているように思える。子ども達を愛し、民族教育を愛し、祖国の統一を願って、持てる力の全部をを尽くした人。今、民族教育の現場にいる自分の迷いや脆弱な覚悟を恥ずかしく思う。思いの弱さ、浅さをもどかしく思う。

 私に残された時間と場所があることを感謝し、力を尽くしていきたい。ご遺族の幸せと活躍を願ってやまない。(西東京第2朝鮮初中級学校校長、李政愛)

[朝鮮新報 2004.9.7]