くらしの周辺−変化の「形」 |
夏の約1カ月間、学生の引率で祖国を訪問した。約2年ぶりの街並や風景から、祖国の人民に以前以上の明るさと活気が満ちている印象を受けた。特にそれを、楽観的な展望と前進への確信を語る祖国の大学生たちとの交流を通して感じ取ることができたのだが、彼らと留学同の学生との会話のやり取りの中で、興味深いものがあった。 A:国交正常化実現が確実に近づきつつあるけど、実現の後には朝鮮の優秀な大学生たちが日本に少なからず留学してくるよね。 B:おそらくね。 A:例えば最近では、同胞同士ということで「南」からきた人たちと付き合ったり、結婚する同胞が少なからずいるんだ。演繹的に考えると、日本に留学する祖国の学生と在日同胞とが、接触交流の過程で恋愛関係になることもありえるよね。 B:若者同士だから無いとは言えない。もちろん在日同胞が平壌に留学し、その逆も然りでしょう。 A:大邱ユニバーシアードの例を見てもわかるけど、「南」の男性が「北」の女性にものすごいラブコールを送っている。統一すれば南北間での恋愛や結婚などもありえるかな。 B:そのためにも、一日でも早い統一の実現にがんばらないと。 なるほど、祖国の統一や朝・日国交正常化の実現など、私たちが迎えつつある新しい歴史的段階は、多少時間が掛かったとしても、その変化の余波が例えばこういう風に私たちの暮らしの周辺で頻繁に現れるのかもしれない。 秋の夜長に杯を傾けながら、たまには、新たな時代に、新しい出来事がどのように起こるのか想像に酔うのも悪くない。(李東一、団体職員) [朝鮮新報 2004.10.4] |