〈本の紹介〉 シルミド「実尾島事件」の真実 |
韓国で昨年末に公開され、この春までロングランを続けた映画「シルミド」は、1200万人もの観客動員数を記録したという。 映画の下敷きとなったのは1971年夏に起きた韓国の特殊部隊による反乱事件。1968年、時の朴正熙政権は韓国中央情報部主導の下、北朝鮮潜入を目的とした極秘の特攻隊を創設した。しかし、計画は実行に移されることなく、過酷な訓練に耐えかねた隊員は教官を殺害し、ソウル中心部へと攻め上がった。 部隊の存在は、緊張状態が続く朝鮮半島情勢を背景に、韓国現代史でタブーとされてきた。シルミドとは、この特殊部隊が訓練を受けていた黄海上の孤島、実尾島を朝鮮語で発音したものである。 本書は、日本人ジャーナリストが、この事件に早くから注目し、部隊の軌跡を追った重厚なノンフィクションだ。著者は昨年十月まで東京新聞ソウル支局長を務め、ソウルで六年間勤務したベテランのコリアウオッチャーである。 韓国政府が国防機密として事件に関する情報公開を拒む中、著者は当時の報道や回顧録など、韓国で発表された断片的な関連文書を整理し、生存する訓練教官や軍幹部などを訪ね歩き、重い口から証言を引き出している。 当時の空軍参謀長による「中央情報部長が点数を稼ごうとしてつくったのが実尾島部隊だった」との証言や、特殊部隊の訓練に当たっていた関係者の「出撃命令が取り消されてからは殺伐とした雰囲気で、いつ事件が起きるかと思っていた」などの回想は、部隊創設から破滅に至るまでの内実に肉薄している。著者によると、インタビューした関係者はその数、約60人にのぼるという。 映画では特殊部隊要員として31人の死刑囚たちが徴募された設定になっている。しかし、本書によれば、ほとんどが民間人だった。映画以上に壮絶な人権蹂躙の事実があったことも生々しく描いている。 また、シルミド部隊以外に、韓国で「北派工作員」と呼ぶ、北朝鮮に潜入して拉致や暗殺、施設破壊などを任務とした武装工作員の存在にも一章を割いている。 本書によると、朝鮮戦争が続いていた1951年から94年までに、韓国が養成した北派工作員の数は1万3000人余り。テレビや雑誌など日本のマスコミには最近、北側が一方的に謀略工作を繰り返してきたかのような興味本位の報道が甚だしい。しかし、冷戦体制の下、実は南側も熾烈な工作活動を展開していたことを本書は冷徹な目で伝えている。 本書を読めば、韓国政府が北朝鮮による拉致被害者の問題解決を北側に強く要求しない、あるいは要求できない背景も理解できるだろう。 著者は、南北の離散家族と同様、シルミド部隊や北派工作員をもう一つの「南北分断の悲劇」ととらえる。「肉声」が詰め込まれた本書は、シルミド部隊の反乱事件のなぞを解く証言集であると同時に、朝鮮半島をめぐる歴史のやるせなさを訴える慟哭集でもある。(城内康伸著)(ジャーナリスト、篠口泰臣) [朝鮮新報 2004.10.6] |