top_rogo.gif (16396 bytes)

〈朝鮮歴史民俗の旅〉 妓生(2)

 張緑水はソウルのある高官の下女で主人もいたが、暴君燕山君に見初められて妓生になった女である。器量もよく歌舞も上手であったが、30歳を過ぎながらも、その振る舞いは17、8の愛くるしさであった。燕山君は彼女を後宮に迎え入れ、従三品の高位を与えた。彼は片時も彼女を離さず、彼女も寄り添って離れなかった。その頃までは彼女も幸せであったが、不幸は燕山君がクーデターで倒された後に起きた。暴君に寄り添って生きた彼女に死罪が下されたのである。最下層民であった分だけ欲が昂じての不幸であった、と歴史はその事実を伝えている。

 スキャンダルの本当の主役は奉名使臣であった。なかでもとりわけ観察使といわれるものたちが問題を起こしている。彼らは従二品の高級官僚で、地方巡視が任務であった。王命を授かってソウルを離れれば、傍若無人に振る舞った。守令たちを引き連れて景勝地を遊覧し、宴会三昧の日々を送った。

 妓生をソウルに連れて帰る不届き者もいた。妓生たちの中には、高官大爵の妾になり、本妻を追い出して妻の座を射止めたものもいた。歌舞と器量が認められて免賎となり、良民として生きていくものもいた。

 妓生の中には信義とプライドを持って生きた女性たちが多かった。

 朝鮮王朝建国直後、開かれた祝賀宴に、新国王李成桂は高麗の遺臣多数を招いた。妓生雪梅は酌婦となって接待していた。宴会が盛り上がった頃、一等功臣「極廉が彼女を傍らに呼んで言った。

 「おまえたち妓生は東家に行けば東家に食し、西家に行けば西家に寝ると聞くが、今宵は吾と過ごそうではないか」

 この誘いに雪梅は間髪入れず大声で答えた。

 「東に食し西に寝る妓生と、王家を支え李家も支える貴殿様とは、何とよく似た生き様でしょうか。似た者同士とはこういうことなのでしょう」

 このひと言に会場は静まり返り、酒を勧める者も、求める者もおらず、参席者は三々五々と散っていった。

 妓生と、高麗を裏切って李氏朝鮮の功臣になった信義のない両班を同じ天秤にかけ、その不義を正す論理は、権威の前にも動じることのない妓生の心意気を示している。

 黄真伊もまた、不屈の信念とプライドを兼ね備えていた。16世紀、中宗王の時代に生き40歳前後に没している。もとは両班の家庭に生まれたが、母が賎民であったため、「従母法」によって妓生の道を歩むことになったらしい。

 彼女は、高僧の知足禅師や謹厳な貴公子碧渓守など、当時の名士を次々虜にした。高位官僚を手玉にとり、その権威の裏に隠されている非人間性、傲慢さ、愚かさをことごとく暴いた。

 詩人としても朝鮮文学史に大きな足跡を残している。彼女の作った時調は、当時の男性が儒教的倫理にがんじがらめにされ窮屈であったのに比べ、愛の情念を軸とする人間の内面を大胆に表している。

 壬辰倭乱の時代。命に代えて祖国のために戦った妓生がいた。

 一人は平壌の桂月香、もう一人は晋州の論介である。月香は平壌防御使将軍金応瑞の愛人、論介もやはり慶尚右兵使金慶会の愛妾であった。その当時、月香は平壌城に、論介は晋州城にいた。占領された城にただ一人残って、妓生として豊臣秀吉の将官たちを接待しながら、一矢を報いる機会を待ち続けた。そしていよいよチャンスが巡ってくるのだが、それは彼女たちの最期をも意味した。

 まず、月香の方から話を進めよう。月香は平壌城が陥落して以後、小西行長配下の武将の妓生となっていた。毎夜体を求める敵将に対して、父の喪中であることを理由に拒み続けながら、城外の金将軍に敵情を知らせ続けた。そしてその日が来た。月香は今日が喪明けであることを武将に告げ、日が暮れるまで酒を注いで飲ませた。泥酔した武将がいよいよ月香の体に触れようとした瞬間、彼女は粉唐辛子を武将の顔に投げ付け目つぶしにした。機を一にして戸が開けられ、将軍の太刀が閃光を発して敵将の首を切り落とした。武将を失った小西の軍勢は混乱し、士気は萎え、ついに城を明け渡し降伏。1593年1月であった。だが、このたたかいで月香は敵軍の刀に打たれ殉死した。

 その年の6月、論介は晋州城にいた。月香同様、敵将の妓生になっていた。城を落とした敵軍は連日連夜の祝勝会にわいていた。彼女の最期は、将官たちの宴会場が置かれていた蜀石楼であった。彼女は派手に着飾って武将たちに酒を勧め、歌い踊った。そしてついに、武将毛谷村六助を高台におびき寄せることに成功、あらかじめ計画していたとおり、武将の首を両腕に包み込んで、一気に南江の碧流に身を投じたのである。死後、彼女の義行を称えるために祀堂が建立され、現在も訪れる人の列が絶えないという。

 聞くに、晋州の妓生たちは以後、交代で論介の祀堂を守り続けた。日本の植民地統治下にあっても、論介の命日にあたる6月30日を「義妓の日」に定め、祭祀を行っている。

 1919年3月1日、「晋州義妓組合」の33人の妓生たちは、論介祀堂で集会を開き、「朝鮮独立万歳」を叫びながらデモを行った。世に言う「晋州妓生万歳事件」である。20数人が逮捕され、代表の金香花は6カ月の懲役を宣告されている。(朴禮緒、朝鮮大学校文学歴史学部非常勤講師)

[朝鮮新報 2004.11.6]