〈朝鮮歴史民俗の旅〉 姓名(1) |
「虎は死んで皮をのこし人は崩じて名を遺す」ということわざがある。人はその名において自己の存在を現し、死後においては歴史に刻んで足跡を残す。 朝鮮の姓氏を理解するうえで鍵となる言葉がある。姓と本貫と行列である。まずは姓について見ることにする。 朝鮮の姓氏は父系の血縁主義にもとづいている。一族の始祖を元祖にして代をついで姓を引き継ぐのである。朴氏と李氏と金氏は、昔も今も朴氏、李氏、金氏である。朝鮮は姓氏発生以来一貫してこの姓不変の原則を貫いてきている。朝鮮人が「私は金○○です」というとき、そこには「金」という血族集団のメンバーであるとの意味が込められる。 朝鮮の血縁主義に対して日本は家(いえ)中心主義である。先の国語辞典は名字について「名字=@かばね。A氏から出た家の名。あるいは、名田の名を自分の字としたもの。平氏から出た千葉・三浦の類」と説明している。平たく言えば、名字とは、先祖や血縁と無関係の一家族や個人が所属する家の呼称である。 朝鮮の姓氏は、日本の名字に比べてはるかに少ない。1987年の調査によると朝鮮人の姓氏は全部あわせて274姓に過ぎない。使用人口の多い順から、大姓・著姓・貴姓・稀姓・僻姓などと分類されるが、大姓だけで人口のほぼ半分を網羅する。ソウル南山の頂上に登って石を投げれば、必ず金、李、朴、崔、鄭のいずれかの家の屋根に落ちる、と言う例えさえある。 家中心主義では名字を勝手につけてもかまわない。実際に、現在役場に登録されている日本人の名字の多くは、明治政府が発令した「名字必称令」以後につけられ届けられたものである。名字は家を表す呼称であるから、家元を離れて独立した子は、親とは別の自分の名字を名乗ることもできる。場合によっては旧姓を捨て、まったく新しい名字を持つことも可能だ。 姓不変の朝鮮では姓氏が増えることがほとんどない。先祖伝来の姓を発祥以後数百年、あるいは千数百年にわたってかたくなに守られ伝えられるからである。この点からすれば、朝鮮人の各家庭はすべて万世一系であると言えなくもない。 本貫とは家門のルーツともいえるもの。始祖が姓をおこした由緒あるところが本貫である。例えば、金氏に古代の駕洛国の金首露王が起こした姓がある。この場合、始祖の姓が金でありその発祥地が金海であったことから、本貫を金海とし金海金氏を名乗ることになった。同じ金氏に慶州金氏がある。これは、新羅の金門智王が始祖で慶州が発祥の地であったので慶州金氏となった。両者はいずれも姓は同じ金姓であっても始祖が異なるから一族でない。朝鮮の姓氏は、その数は限られ少ないが本貫の数は2000ほどある。 朝鮮の姓氏に本貫が取り入れられたのは、姓氏の数が少なく、姓だけでその出自が明らかにされない、という不便さを補うためであったかもしれない。しかし、より本質的には、人々の生活が血縁集団からなっていたことにある。つまり、郡や面に集落をおいて生活を営んでいた一族が、国家による中央集権化が進む中で、一族の政治的、経済的地盤を固めることを目的として、本貫という族中結束のよりどころを置くことになった。 本貫は大きく、神話に基づくもの、国王から賜ったもの、後世が特別の人物を始祖にみたてたものの大きく3つがある。 三国時代の姓氏の多くは神話や伝説によるものであった。高句麗の高氏、百済の扶余氏、新羅の朴氏などはそれらの国の建国神話から発したものだ。先に述べた金海金氏も慶州金氏も神話によるものである。済州島に高、梁、夫氏の姓があるが、これらも恥羅建国神話にまつわるもので、済州島の三姓穴伝説に由来する。 国王から下賜された姓氏は高麗の時代になって多く見られる。高麗建国の祖・王建は、封建体制の確立の必要性から多くの臣下に姓と本貫を与えている。その代表格が平山申氏である。平山は黄海道の地名。始祖は高麗の名将・申崇謙。崇謙が平山申氏を受け賜った事情については、すでに「弓術」の項で述べた。 異民族でありながら帰化して朝鮮人になった例もある。朝鮮の帰化姓には、中国系、蒙古系、女真系、ウイグル系、アラブ系、ベトナム系、日本系などがある。帰化の動機は、政治亡命、投降帰順、漂着、政略結婚などいろいろだが、注目すべきは、多くの者が国王と政府の厚い保護を受け、姓と本貫を下賜されていることだ。 日本系は金海金氏(友鹿洞金氏)に代表される。その家訓には次のような記録が残されている。 「始祖・金忠善の日本名は沙也可。加藤清正の右先鋒将として壬辰倭乱に参戦したが、朝鮮の文物と人情に心うたれ、朝鮮軍兵馬節度使・朴晋に帰順する。その後、朝鮮の軍人として参戦して功を成し嘉善大夫の名誉を得る。都元帥などの奏請で金忠善の姓名を受け賜る。戦後、北方の辺境地の警備をまかされ、女真軍五百名を討ち取った戦功で正憲大夫となる。大邱の牧使・張春点の娘と結婚し子孫を残す。金忠善の金姓は、本名が沙(砂)であったことから、砂金を念頭において金姓を名のり、砂金のなかでも海中の金が一番すぐれているからと、金海をもって本貫とした」(朴禮緒、朝鮮大学校文学歴史学部非常勤講師) [朝鮮新報 2004.11.13] |