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「高句麗残照」(下) 「日本の古代文化は朝鮮文化」

 すべてがそうだとは言わないけれど、日本の古代文化は朝鮮文化だと言っていい一面がある。むしろ、意図的に中国が重んじられていて、朝鮮が軽視されてきたことを考えるならば、多少強調して言ってもいいのではないかと、私などには思われる。

 前に書いたことであるが、文化の移動は人の移動であって、文物のみが羽根を生やしたように飛んでくるものではない。諸々の文化は、その恩恵に親しんでいる人々が抱えてやってきたのである。

徳興里古墳壁画(部分)、牽牛織女(前室南壁)、青色の銀河、牽牛と織女が描かれている。織女のそばに犬がいる

 朝鮮半島と日本列島を隔てているのは海であるが、その海こそが人と文化を運んだのであった。遠い南の海で生まれた黒潮が、北上して九州の南で二つに割れると、太平洋に注ぐ流れとは別に、九州の西を北上して日本海(東海)へ向かう流れとなる。この海流には3つの分枝があって、第1分枝は日本列島の山陰地方から北陸を経て、東北に至る各地で沿岸を洗っていく。対馬の西で分かれた2つ目の枝は、海峡のまん中を進む本流となり、そこからさらに分かれた第3の枝は、朝鮮半島の東岸に沿うようにしばらく北進してやや離れ、沖合いを東北方向へ流れる。

 古代、時を選んでこの海流に乗れば、潮の流れに導かれて行き来するのは、それほどに難しいことではなかった。だから、朝鮮半島から多くの人々が、止むに止まれぬ切羽詰った事情や、新天地への燃えるような希望に背中を押されてこの潮に乗り、日本列島のいろんな所へ上陸した。とりわけ、高句麗や、のちの渤海からは北陸へのルートがたやすかったように思われる。史書に残る570年、573年、668年の高句麗使節は、いずれも北陸に上陸して陸路で大和へ入っている。渤海からの船が出羽の辺りに誤って漂着している例なども、それを証明しているだろう。

 そのようにして日本列島へ渡来した人々には4つの波があった、と上田正昭先生は「帰化人」(中公新書)に記している。それによると、第一のピークは紀元前200年ころであり、第2の高まりは5世紀前後の応神・仁徳朝を中心とする時期であった。そうして、第3の波は5世紀の後半から6世紀の初めを中心とする期間で、さらに大きなうねりは7世紀後半、とくに天智朝の前後であるという。

「交隣提醒」を説いた雨森芳洲

 この4つのピークを持って、大陸それも朝鮮を中心とする地域から、多くの人々が日本列島へ渡来した。わけても、第3の時期には朝鮮半島南部から、今来の才伎(いまきのてひと)と呼ばれるように、新しい技術を持った人々が渡来し、各分野で目ざましい働きを見せたようである。第4の、唐・新羅の連合軍が百済を滅ぼし、これを救援しようとした日本軍が大敗を喫するという、日本の中央権力にとっての非常事態が到来しつつあった時期を前後して、もっとも大量の渡来が見られた。

 このようにして、朝鮮半島から渡来した人々は、日本列島のあちこちの地に満ち、あふれ、そうして生み、ふえて、日本人の主要な部分となったのである。

 今日の政治経済状況は、太平洋岸をもって表日本としていて、明治以来、多くの文明と言われるものは、こちら側からやってきた。けれども、古代以来の文化の流れを見るならば、日本海側こそが本来の表日本だったのであり、一衣帯水と表現される、日本列島と朝鮮半島の間に横たわる海こそは、豊饒の文化を伝えた輝ける潮であった。

 弥生の稲作、古墳文化、乗馬の風習、鉄や漢字や紙や、数えあげればきりのない文化を持った人々が、この潮に乗ってやってきた。

 まさに、日本列島と朝鮮半島に日々を暮らした人々は、なんの分けへだてもなく、一つの種に結ばれた人々であったと言える。ではあっても、その後の、それぞれの国が生み出していったところの民族と、人種とは、これは、はっきりと違うということを、認識しておかなければいけない。

宝冠思惟弥勒半跏像 金銅像 宝冠思惟弥勒半跏像 木像、像高144.1cm

 すなわち、戦前・戦中の「日鮮同祖論」の轍に嵌まる苦しみを、日朝に今日を生きる私たちが、味わってしまうことがあっていいものではない。日本と朝鮮とはもともと同祖であったのだから、日本が朝鮮を支配下に置くのは当然であるとして、植民地支配を正当化するような考えを再び許すことのないよう、日本人の良心にかけて、きっと戒めなければならない。姿を変えた新たな「征韓論」が、日本人の心を蝕もうとしているいまであってみれば、ことさらにそのことを強調せずに、日朝の古代を考えることの危険を感じないではない。

 日朝民衆は、かつて、元禄・享保の国際人であった対馬の儒者・雨森芳洲が「交隣提醒」に書いたように、互いに欺かず争わず、誠信の交わりをこそ、実現していかなければならないだろう。

 あえて蛇足を書き加えるならば、本来の表日本に立ち返ることが、日本はもとより、東洋の、ひいては世界の平和をもたらすものであると、しきりに思われてならない昨今である。(びんなか・しげみち)

[朝鮮新報 2004.11.17]