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金剛山歌劇団茨城公演を見て、平和の布模様織りなす舞台 たくましく行き抜く心を表現

 「私たちは!…」

 公演パンフレットからイメージしていたものとは、およそ場違いとも思えた男性の力強い声と、たくましい姿の昌頭あいさつに私はとまどった。その後、背丈がスラッとし、柔和な笑顔、その風貌は知的美人としか表現のしようのないチマ・チョゴリの女性が、透き通る声と流暢なハングル語であいさつを始めた。

 ああ、やっぱり期待していた人が現れた。きっとこの女性が司会者なのだろうと、部下を連れてきた手前、私は安心した。隣に座った部下が言った。「ボス、テレビで見ている朝鮮中央放送の司会者と随分ちがいますねぇ。こんなに柔らかく話すんですか?」 私も初めての体験なので「ウーン…。」としか返事ができなかったが、女性司会者の透き通るような声は、私がこれから見るであろう歌劇の期待を、十分にふくらませてくれるものだった。

 八歳前後の女児があいさつをした。言葉、響き、姿勢、顔、すべてが利発である。子どものいない私にとって、「この娘の親はなんて幸せ者なんだろう」とうらやんだ。

 朝鮮学校の生徒たちの合唱が始まる、鮮やかなブルーのチマ・チョゴリの指揮者は、私の美容室の長年のお得意様だ。実は、この方に私は招待された。何処を切っても同じ絵柄の出る金太郎飴のように、教育のためだけに生まれてきたと思わずにはいられない張弘順女史。教育のこと、人生のこと、政治のこと、私のサロンで張女史のヘア・スタイリングをさせていただきながら、いつも共感しあっている人だ。今ステージに立ち、生徒たちにタクトを笑顔で振るう、指揮者張女史の後ろ姿は、日頃、生徒たちに合唱を教えている慈母の姿そのものを見せているようだった。

 やがて第一部が始まり、第二部が終わった。

 席からすぐ立てずに、しばらく茫然と余韻に酔いしれ、陰で涙を拭っている私は、部下に促されてようやく席を立った。

 連れてきた部下を駅で下ろし、帰路の車内で一人思った。一体、とめどなくあふれたあの涙は何だったのだろう…。しばらくしてある言葉が脳裏をよぎった。

 「なんの罪もないのに、石を投げられた子どももいます」

 それは、開演前の冒頭に出てきた男性のあいさつの一節であった。かわいらしく、最も周囲に愛されるべき子ども時代。しかし、在日朝鮮人という理由だけで、幾多の障害を体験しなければならなかった子ども時代の幼い顔と、今ステージで立派な演舞を見せてくれた、芸術家たちの姿が重なって見えてしまった。感涙の理由はそれなのか。と、わかった時、やっとあの男性が冒頭に出てきた意味が理解でき、自分の鈍感さを恥じた。心ない日本人から、いわれなき中傷非難を浴びながらも、たくましくいきぬく魂、歌劇という形で人生の悲哀と、それを超越してゆく生命の愛。

 今日の感動は、ただ歌という技術、ただ舞踊という技術だけを、山ほど訓練しても表現できえないもの。錬磨という表現さえ物足りない。あの偉大な作曲家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが、難聴と闘ったが故に「運命」が生まれたように。

 人は、誰も喜怒哀楽という人生の布を一生織りなしていく。

 つまらない模様の布を織る人もいる。

 宿命に負け、ボロ雑巾のような人生もある。しかし、見る人すべてが理性や感性を突きぬけて到達する、大感情というべきか、生命平和の布模様を織りなす芸術家がここにいた。

 それは、当に21世紀の地球民族が渇望する、永遠の価値、人間勝利者の輝きを放っていた。

 人間勝利こそ人類の最高の武器であり、アメリカ全土の戦闘武力など、これに比べたら、およそ稚拙と言わざるをえないだろう。

 私は、この偉大な芸術家、金剛山歌劇団のみなさまに出会えたことに深甚より感謝します。同時に、永遠のエールを贈りたいと思います。(神崎正也)

[朝鮮新報 2004.11.17]