〈生涯現役〉 在日朝鮮人−愛と闘いの物語 同時代社から出版 |
本書には25人の在日同胞の半生が綴られている。 2年前から本欄で連載されてきたシリーズ「生涯現役」がそのまま書名になった。なお、2002年、朝鮮青年社から刊行された「生きて、愛して、闘って」の続編に当たるもの。 本書は難しい社会問題の教科書ではない。一人約6ページ、全体で225ページほどの本書を読み終えるあいだに、おそらく読者は胸を詰まらせ、目頭を熱くさせることであろう。単なる歴史の証言ではない、心の叫びが凝縮して映し出されていると思う。 植民地時代、日本に渡り、様々な苦難を経ながらも、自らの手で運命を切り開いてきた在日1世たち。
とりわけ、歴史に名をとどめることのない普通の女たちの奮闘記は読者の胸を焦がすだろう。キムチ漬け一筋に60年。いまでは、日本人の胃袋に根を下ろし、その食生活を変えてしまった東京都足立区の韓福順さん(74)と京都の李連順さん(70)。商売が軌道に乗るまでの泣き笑いの秘話は、たくましくおおらかな人間の物語として伝わってくるはずである。 ドキュメンタリー映画「海女のリャンさん」のヒロインで、文化庁の本年度文化記録映画大賞にも輝いた済州島出身の梁義憲さん(88)。植民地、分断、家族の南・北・日本への離散、20世紀に朝鮮民族が体験したあらゆる受難を一身に背負いながら、笑顔を絶やすことなく、海女をしながら家族の生活を支えた。北に帰国した2人の息子の家族を訪ねて海女生活を終えて70歳から今年までの18年間、20回も祖国を訪問し続けた。貧しくて教育も受けられなかったが、そのウィットに富む魅力的な人柄は、私たちの心をとらえて離さない。 また、本書には「ハンセン病」訴訟の李衛(国本衛)さん(78)の波乱万丈という言葉ではとうていいい尽くせぬ苦難の生涯が映し出されている。
「生きるに値しない人間として生きてきた。気が遠くなる歳月。…忘れられない家族との別離の悲しみを越えて生きてきた。父の死にもあえず、母の死にも会えず、社会から排除され、社会の裏側の闇の底で、それでも生きてきた。振り返れば虚しい日々があり、死と向き合う日々があり、気が狂いそうな日々があった」と李さんは血の滲む体験を語っている。しかし、李さんはその苦痛に耐え、「ハンセン病訴訟」を勝利に導いた。その闘いの根底にあったものこそ、人間としての誇り高さや民族としてのアイデンティティだったのである。李さんの半生が放つ圧倒的な説得力、魂を揺さぶる言葉、私たちの乾いた心を包み込む人柄に、是非触れて貰いたいと思う。 本書に登場する人たちが日本に渡ったのは、1920年代末から30年代にかけてが圧倒的に多い。満州事変(1931年)勃発から始まって、日中戦争へと移行する最も悲惨な時代の幕開けだった。日本による中国侵略戦争は文字通り、朝鮮を軍靴と大砲でかんぷなきまでに蹂躙したうえで、繰り広げられたものだった。 朝鮮の近代史において民族受難のもっとも暗い悲劇が折り重なった時代。 朝鮮人労働力の組織的な動員が計画されはじめたのは1939年以降である。日中戦争の本格化にともない、38年4月に国家総動員法が制定され、39年7月には内務・厚生両省の次官通達が出され、鉱山と土木事業に対して朝鮮人労働者の移入がはかられるようになった。 米国を代表する現代朝鮮史の研究者、ブルース・カミングス・シカゴ大学教授は、1930年代の不況の影響と植民地の強制的な工業化が結びついて朝鮮半島は劇的な人口動態の変動にさらされたと指摘している。在日朝鮮人の居住人口は、39年からうなぎのぼりに増え、1945年には236万人を越えるまでになったのだ。 こうした歴史的背景を押さえながら、本書に登場する人たちの「物語」を読んでほしいと思う。そうすれば、物語の主人公たちが、暗い時代にあって、絶望や悲哀をいかに、勇気と気概を持って力強く生きてきたかを理解することができよう。 流された血と汗と涙の意味を他者の物語としてではなく、自らのものに昇華することができると思う。 本書に収録されたシリーズは2002年から本紙「女性欄」でスタートし、朴日粉、金潤順が担当した。(粉) [朝鮮新報 2004.11.20] |