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劇団アラン・サムセ 2004年度公演 「不思議の国の少女A」を見て

 劇団アラン・サムセの2004年度公演、「不思議の国の少女A」(作・朴成徳、演出・金正浩)が8〜10日の3日間、新宿区のタイニイ・アリスで上演された。

在日同胞の今を浮きぼりにした舞台に多くの拍手が送られた

 ウサギを追いかけ穴に落ちてしまった主人公の少女が、不思議の国に迷い込んでしまうところから物語が始まる。入国の時に本名を奪われ、「A」と呼ばれるようになる。進むうちに、チマ・チョゴリを脱がされ、不思議の国の「色」に染められていく少女。初めは「自分」を失うまいと抵抗するが、迎合し流されて、自分が何者であるのか忘れていく。

 全体を通し、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」に似た雰囲気を醸し出している。観る者をファンタジーの世界にいざないながら、あちらこちらで笑いのツボをつついてくれる。エンターテイメント性の高い快作に仕上がった。

 物語の核を握っているのは、少女が追いかけていたウサギだ。「朝鮮半島は何の形をしているのか?」という質問に、多くの在日同胞はウサギと答えるだろう。しかし、朝鮮では古くから朝鮮半島の形をトラにたとえてきた。「日本による朝鮮植民地統治の時代、『虎』という『強者』のイメージを嫌った日本の統治者達は、半ば強引に朝鮮半島の形を『兎』に摩り替えたそうです」(公演のパンフレットより)。

「不思議の国の少女A」の舞台

 日本社会の影響を受け流されること、自分自身を見失うこと、見失ったこと自体を認識できないこと、さらには、歴史をきちんと清算しようとしない日本社会のなかで、われわれが追い求めているものは、トラではなくウサギになっていないのか…。この作品は多重の構造をもって訴えかける。

 最後に主人公が自分の作品を破り捨てる場面は、日本社会の影響云々とはまた違ったより高い次元で、名前や民族衣装や言葉もウサギ的なものとしてでなくより積極的なトラ的なものとして取り戻し、何よりも「在日」のわくを越えた民族の一員として生きる強い意志をもつことの重要性を表現したのではないだろうか。

 ひとつ気になったことは、訴える対象として朝鮮学校卒業生を強く意識している点だ。在日同胞社会の構成がますます複雑になっている今日、より幅広い空間を描いてほしいと感じた。また、出演者の身体能力をさらに高めることにより、舞台がより研ぎ澄まされたものとなるよう期待したい。(琴)

[朝鮮新報 2004.11.20]