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〈本の紹介〉 海の国の中世

 事実に即してみれば、「日本」や「日本人」が問題になりうるのは、列島西部、現在の近畿から北九州にいたる地域を基盤に列島に確立されつつあった本格的な国家が、国号を「日本」と定めた7世紀末のことである。それ以降、日本ははじめて歴史的実在になるのであり、それ以前には「日本」も「日本人」も存在していないのである。そのことをまず、明確にしておかなくてはならない。

 朝鮮半島、日本列島、大陸の海を通じての交流は、「日本」が出現する以前から密接に行われていた。古代でも、百済との間では通訳が置かれていない。百済の王族は天皇家とも姻戚関係にあった。古くから、様々な人の交流が列島外の世界との間で行われていたことは確実である。日本列島はアジア大陸の南北を結ぶ懸け橋だ。縄文時代以降、大陸の内陸文化が北方から列島に入り、西からも南からもさまざまな文化が入ってきた。

 本書は網野史学と称される歴史学者の故網野善彦さんの中世歴史研究の集大成。中世における日本列島に住む人々の多様なありようを照らしながら、日本中世の全体像に迫る。

 女性の社会的地位、列島の中の東と西の差異と対立、多様な職能民の在り方、民衆の知識の有り様、農村と都市の姿など、多年にわたり、網野さんが注目し続けてきた問題点が丹念に言及されている。

 その一つひとつを読み込めば、「百姓」を即農民と捉えてきたかつての認識の誤りは正されていくに違いない。

 網野氏は柳田国男以来日本社会の基軸は農業と農民にあると考えられていたが、「百姓=農民」とする従来の固定観念に修正を迫り、また、日本が単一で均質な固有の文化を持つ島国であるという単一民族観や天皇を中心とする国家像も問い直すなど、日本史の常識を次々に覆す業績を上げた。

 海を媒介にしてさまざまな人とモノが行き交った中世日本の真の姿をとらえることは、明治以降、海を遮断し東アジアとの関係を断ち切って、朝鮮半島や中国大陸への侵略に向かい、日本列島を単一の閉ざされた国にしてしまった歴史への痛烈なアンチテーゼである。真の学問的姿勢とは何かを語る優れた1冊と言えよう。(平凡社、網野善彦著)(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2004.11.29]