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くらしの周辺−メリットとコスト

 マクロ経済学には「外部コスト」という概念があるが、その一例を挙げるとすれば、近年定着したゴミ収集料金がある。つい数年前まではゴミを出すのにお金がかかるなど想像もつかなかったのだが、だからといってある日突然ゴミ収集にお金がかかり出したのではない。消費を楽しむ(=メリット)後の処理にかかるコストが、楽しんだ人そのものによって引き受けられることなく外部に転嫁されていただけであって、コストは誰かがどこかで負担して初めて精算され、ゼロとなる訳である。これらは従来公共の名の下に税金によって負担されていたのだが、あまりにもその量が膨大になり、近年のゴミ料金となって現れてきた訳だ。それを嫌がるなら、私たちは下手をするとゴミだらけの社会に住むしかなくなる。

 翻って在日同胞社会はどうであろうか。学校や各種団体などを結節点とする同胞コミュニティーは、先人の血の滲んだ労苦によって維持発展してきたことに多言を要しない。近年これを土台としながら様々な分野に進出し活躍している企業や個人が多く出ていることは非常に喜ばしいことでもあるが、時にメリットとコストのバランスを逸しているのではと考えさせられる場面に出会うことがある。その有形無形の土台を維持発展させるコストを或る所から外部化すればそこに一時的なメリットは在りうるだろうが、誰かがどこかでそれを「負担」していることを忘れていると、同胞社会が「ゴミだらけ」になりかねないのではと杞憂するのはいき過ぎだろうか。今後もよく考えていきたい。(李東一、団体職員)

[朝鮮新報 2004.12.13]