〈朝鮮歴史民俗の旅〉 テコンド@ |
格闘技でオリンピックの正式競技になったのはレスリングとボクシング、柔道、そしてテコンドである。前者2つの発祥地が欧州であるのに対して、柔道とテコンドはアジアである。 朝鮮では古くから武術が盛んであった。剣術・槍術・弓術があり、さまざまな格闘技が武術の一環として行われていた。当時、朝鮮の武術を中国のそれと区別するために「東夷武芸」と言った。東夷とは朝鮮民族の別称である。 テコンドに関する資料は多い。現存するもので最も古いものは高句麗古墳の壁画に見られる。5世紀頃の「三室塚」の「壮士図」と「舞踊塚」の「格闘技図」に古武芸の模様が生き生きと描かれている。とりわけ、2人の壮士が競っている「格闘技図」は、その組み手が昔も今も変わっていないことを見せている。 テコンドは百済でも盛んに行われていた。「海東韻記」によれば、「その術は剣を持つことに等しく、名手は一撃で敵の首を打ち落とした」と言う。新羅では武者集団であった花郎のなかで行われ、「帝王韻記」はその有様を次のように書いている。 「新羅に飛脚の術あり。互いに相対して競う。3つの技あり、手足で撃ち合い、長じたものは肩とひじを使い、またあるものは髷をも使う」 テコンドは仏像にも見られる。新羅の慶州・石窟庵の金剛力士像と、芬皇寺の石塔仁王像はテコンド武芸者の姿に似せている。一方が攻撃のための上段がまえであるのに対して、他方は防御のための下段がまえである。それらは現在ももっとも多く使われるテコンドの基本型である。 朝鮮三国のテコンドは高麗に引き継がれ正規軍の武芸となった。「高麗史」は高麗の王族と貴族がたびたびテコンド競技を観戦していたことを記録している。当時、実践応用の武芸として「五兵手拍儀」という5人1組による集団競技が行われていたが、国王は勝者に対してほうびを授け、優秀な者には特進の命令を与えている。武芸としてのテコンドの威力についても「高麗史」は「武芸の李義民・杜景升が競う。李が柱に一撃すれば宮殿は揺れ動き、杜が壁に一撃すれば、拳が壁を打ち破って大穴を開かせた」と書いている。 朝鮮王朝のもとでテコンドは、軍隊の中だけでなく民間にも普及し、世宗王の時代に、軍人に抜擢することを目的に手拍武芸者を募集したところ、全国各地から多くの名手が集まったという。政府はそれらの中の優秀な者で防衛軍を編成し、国の防御にあたらせたと「太宗実録」は書いている。 テコンドの発展に大きく寄与した国王がいた。朝鮮王朝第22代正宗王である。彼は朝鮮王朝中興の名君と言われるほど、歴史に大きな足跡を残した人物であるが、「武芸図譜通志」という武芸書を著し、諸般の武芸とともにテコンドの型と技を絵で示して解説している。 テコンドという競技名は近年つけられたもので、時代と地域によって違った呼び方があった。高句麗には「草衣仙人」という武者集団があって、武芸の一つとしてテコンドを行ったが、彼らはそれを「スバック(手拍)」と呼んだ。新羅の花郎集団では「スバッキ(手拍戯)」とも「テッキョン」とも呼んだ。「ピガッ(飛脚)」という呼び方があった。「ピガッ」とは脚を飛ばすことであるから、足技を基本にした現代テコンドに似たものと思われる。 朝鮮王朝の中ごろになると、テコンドは庶民のなかにおおいに普及し、成人男子であれば誰もが心得ていたらしい。次の民謡がそのことを物語っている。 若いころは相撲にテッキョン 17世紀後半の記録に、手で岩を砕いたテッキョン名手の話がある。彼は岩を砕いたばかりではない。4人の礫の名手が、四方からいっせいに投石しても、足で蹴り返し手刀で払いのけたので、一つも当たらなかったという。このような名手は他にも多くいて、名手同士の決戦が庶民の楽しみであったという。 ちょうどその頃、平壌を中心に北部朝鮮の一帯で、「ナルパラム」という殺人的な格闘技が生まれ普及していた。手で殴っては足で蹴り、それにパッチギという頭突きの技まで駆使した武芸である。豊臣秀吉の軍団が半島を席巻していた時、それに立ち向かった朝鮮義兵のなかで興ったもののようである。 その「ナルパラム」の威力を世界に誇示した格闘家が現代にもいた。あの伝説的なプロレスラー力道山である。彼のたたかいぶりは実にスピーディーであった。殴り蹴り投げ倒し、矢のような空手チョップをあびせ、そして最後は、とどめのパッチギで仕留めた。 当時の日本の観客は、彼が朝鮮人であることを知らなかったので、それを相撲と空手と頭突きの組み合わせ技だと喜んだ。しかし、実は「ナルパラム」の技そのものであった。ちなみに、彼の生まれ故郷は北部朝鮮の咸鏡道・洪原。そこは「ナルパラム」が盛んな土地柄で、近代テコンドの創始者・崔弘X氏も同道の出身である。 ここでテコンドという競技名について触れておく。 テコンドとは漢字で跆拳道と書く。跆は足。踏む、跳ぶ、蹴るという足技をあらわしている。拳はこぶし。突く、叩く、受けるなどの手わざを表している。道は精神。礼に始まり礼に終わるという、人の道を表している。(朴禮緒、朝鮮大学校文学歴史学部非常勤講師) [朝鮮新報 2004.12.18] |