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リレーエッセ それぞれの四季−スタートから5年筆者32人、200回に

 女性欄のリレーエッセー「それぞれの四季」が始まって満5年。約600字の小さなコラムだが、すでに32人の筆者によって約200回にわたり連載が続けられている。

 始まったのは99年10月からの紙面改革からだった。暮らし、生き方を通じての同胞女性たちの思いを伝える場にするために、20代から60代までの各世代の幅広い経験を積んだ女性たちに登場して貰った。その職業も作家、詩人、医者、記者、教員から子育て中の主婦までバラエティーに富む。

 最初は筆者を探すのにも一苦労だったが、軌道にのってみると筆者から筆者へと繋ぐバトンが自然に生まれて有り難かった。

 テーマは多彩で、家庭、育児、仕事はもとより、民族教育、拉致問題、日朝関係、「ヨン様ブーム」…、政治、歴史、文化、生活まで幅広く論じられて、人気コラムとして定着した観がある。

 女性のエッセーというと「感性」や「感受性」の分野に封じ込めようとする偏見がいまだに根強い。しかし、果たしてそうだろうか。感性と論理性は別物ではないし、感性の中に強い思想性と論理性が息づいていると見るべきであろう。

 例えば、「娘の宿題」(01年7月16日付)と題する姜龍玉さんのエッセー。初級部に入学したばかりの娘から「オンマ、ウリマル、チャル アムニカ?(オンマ、朝鮮語上手なの?)」と問われて、ハタと気づかされたことがあった。娘は母から聞かされる小言の広島弁と朝鮮学校の先生の流暢なウリマルをいつのまにか比較していたのだ。

 「大学まで16年間、ウリマルをひたすら勉強し、その母国語を愛してやまないと自負してきた私は、6歳の娘の厳しいまなざしを前にして、少々情けない思いであった」と嘆く。日常生活のなかでたゆみなく積み上げられていくウリマルへの愛着をユーモラスに表現した一文だと思う。

 いま、同胞社会では「民族性」が強調されている。それは、つねに自分は何者なのか、を鋭く問う言葉でもある。

 「瞬、浚そして、旬」(04年3月2日付)と題する辺貞姫さんのコラム。西東京の「新春の集い」に参加しながら、ハッキョのバザーやコーラス部での活動で鍛えられたオモニたちのたくましさを活写する。そして「地域の行事で貢献させてもらえるのはとても嬉しい。助けてくれるトンムがいるから」とさりげなく語るある責任者の一言に「私の胸はただ熱くなった」と書く。

 この一文から、仕事や子育てをしながら、民族学校を支えるために全力で頑張るオモニたちの心意気が伝わってくる。つまり暮らす日々のなかで闘う女性たちの持っている底抜けの明るさ、豊かな文化性がにじみ出ているのだ。わが子を愛する美しい情念が、日常生活の中で同胞女性たちをこのように元気にさせている。さまざまな差別の壁と財政難にあえぐ朝鮮学校の現状。しかし、愚痴を言ったり、消極的になっても問題は解決しない。自分を曲げない女性たちのまっすぐな生き方が清々しい。

 「それぞれの四季」の多くの筆者が異口同音に語る朝鮮学校への熱い思い。そこには、人が生きることを侵したり、阻んだりするものと、生活の現場で真正面から闘っていこうとする強い気迫がみなぎる。

 女性欄では大型連載「生涯現役」を連載中である。植民地時代の困難な時代を、自分の血と汗で生きてきた1世女性たちのたくましさや祖国や朝鮮学校のためにすべてを捧げてきた人間としての誇りが脈打つ。

 「それぞれの四季」の筆者たちのエッセーからも、1世女性たちからその人間的な財産を受け継ぎ、民族の心を伝え、よりよい生き方を学びとろうとする精神が通底している。これからも、この場を通じて、女性同士の信頼、タテではない、平等な関係を、同胞社会に発信していこうと思う。

 来春の「それぞれの四季」は筆者が交替して、鹿児島の李命淑さんら3人でスタートする。さて、どんな風を紙面に送り込んでくれるのか、こうご期待を。(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2004.12.22]