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〈04’インターハイボクシング〉 2冠制覇の大阪朝高朴忠南選手

学校別順位3位入賞を果たした大阪朝高ボクシング部。金メダルを胸に笑顔の朴選手(中央)

 「この半年で見違えた」(昨年2冠王の周太慶さん)。

 「全国選抜大会で優勝したときはおどろいた」(応援団の一人)。

 2冠王は決して才能に恵まれていたわけではなかった。真面目な性格と地道な努力の賜物だ。

 2冠を獲得した朴忠南選手本人も語るように、「12月の宮崎遠征がなければ優勝もなかった」。言葉には出さないが、何かきっかけをつかんだ。このあとどんどん強くなっていった。

 名門・大阪朝高ボクシング部に「なんとなく」入部した朴選手。つらい練習と厳しい減量に耐え、監督の教えを忠実に守り、ここまできた。

 「山場は3回戦」(部梁学哲監督)。3月の全国選抜大会の決勝戦で対戦した、相馬農業高校(福島)原田鉄也選手と対戦した。

 いつも積極的に攻撃してくるという原田選手も、選抜チャンピオンの迫力に圧倒されてか、まったく手もだせなかった。

 予備動作なく飛び出すジャブと切れのある左ストレート、軽快なフットワーク。「山場」を越えた。

 すべて圧勝したわけではない。スロースターターで毎試合、応援団をハラハラさせた。だが、ラウンド間に監督のもとへ戻ると別人に変わる。最終ラウンドには決まって対戦相手を圧倒し、場内をわかせた。

 決勝戦も1、2ラウンドは押されていた。「負けてんぞ! もっと前にでろ!」監督の言葉で火がついた。

 「自分から攻めなければ」。朴選手本人も試合後のインタービューでいつも口にしていた。それを見事、実行した。

 梁監督は「選抜大会ほど調子は良くなかった。決勝も1、2ラウンドまではポイントで負けていた。それを最終ラウンドで逆転した。その精神力とスタミナはすばらしい」と称えた。

 監督を誰よりも信頼し、練習に励んだ。インターハイ直前には、祖国で強化合宿を行い、一日に30〜40キロも走った。その努力が実を結んだ。

 「監督のおかげです。応援してくれたみんなのおかげです」。(朴選手)(文=李泰鎬記者、写真=盧琴順記者)

[朝鮮新報 2004.8.5]