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〈AFC・U−17サッカー選手権〉 朝鮮サッカー復活の兆し

 4日、静岡と福島の両県で開幕したAFC(アジアサッカー連盟)U−17サッカー選手権大会。3度目の参加となった朝鮮選手団は日本、中国、タイの強豪ひしめくAグールプ1次予選を2位で通過。準々決勝は南朝鮮と対戦し、1−0で勝利した。15日に行われたカタールとの準決勝では0−0のすえ、延長戦でも決着がつかずPK戦に突入。サドンデスまでもつれ込んだが、7−6で制し、18日の決勝へと駒を進めた。結果、上位3チームに与えられるU−17世界選手権(05年9月15〜10月2日、ペルー)への出場権もあわせて獲得、決勝では中国と対戦する。これまでの試合を振り返ってみた。(金明c記者)

劇的な予選突破

「必勝朝鮮選手団」の横断幕を掲げ応援する同胞たち

 朝鮮選手団は全日程を静岡で過ごすことになった。

 初戦はホスト国日本。ホームの利点を生かし、2度目のタイトルを狙い今大会に臨んだ。

 3度目の参加となった朝鮮の実力が、「未知数」だったことも手伝い、前評判も「日本有利」の声が高かった。しかし、その声も試合開始とともにかき消された。初戦とあって動きに固さが目立った朝鮮だが、ボール支配率は53.4%と日本を上回っていた。0−0の引き分けで試合を終え、次の中国戦へ。現在のU−17中国代表とは過去に一度だけ対戦し、引き分けた。今回は全力で勝ちにいったが、1−2で惜敗した。

試合後、応援してくれた人たちに駆け寄り握手する選手たち

 1分1敗、勝ち点、得失点差ともに日本と並んだため、1次予選最終戦のタイとの試合は何がなんでも勝たなければならなかった。

 前半は0−0。日本は中国と1−1で前半を折り返したとの情報が朝鮮選手団の耳に入る。

 そんな中、朝鮮は後半に攻撃陣が爆発。一挙に3点を入れた。1点を返されるが、試合を決定づける4点目を入れ勝利した。日本も3−1で中国に勝ったが、得失点差で上回った朝鮮が2位で準々決勝へ進出した。

 勝利の瞬間、静岡の同胞応援団、ウリハッキョ生徒らに猛ダッシュで駆け寄り笑顔で応える選手たち。監督を胴上げまでする興奮ぶりだった。それほど劇的な予選突破だった。

健闘称え合う北南

果敢に攻撃する朝鮮選手(対南朝鮮戦)

 準々決勝での南朝鮮との試合も一進一退の攻防が繰り広げられた。

 過去、同大会で2回優勝している南朝鮮は今年も優勝候補に挙がった。Bグループを無敗、無失点で突破し、準々決勝に進出した。

 序盤から果敢に攻め立てる南のFW陣。決定的なシュートがゴールポストに当たりひやひやする場面も多く、どちらが先に先制するか注目を集めた。

 観客がどよめいたのは前半37分、朝鮮のパク・チョルミン選手の豪快なシュートシーンだった。

 ピッチの中央より少し前でボールをもらった朴選手は、相手ゴールキーパが前に出ているのを見逃さなかった。「あのシュートは決める自信があった」(パク選手)。

 DF2人がかけよるところをすかさず、ゴールめがけてシュートを放った。ボールは放物線を描いて、キーパーの頭上を越えた。芸術的なゴールだった。

 朝鮮は粘り強いディフェンスでゴールを死守、1点を守りきり準決勝に駒を進めた。試合終了後は互いの選手らが健闘を称えあい固い握手を交わした。同胞応援団も、ブルーの朝鮮半島が描かれた「統一旗」を手に、両チームに声援を送っていた。

 朝鮮代表のパク・フィサム監督は、「とにかく勝ててうれしい。選手たちが本当によく戦った。北南の両サッカーの明るい未来が見える試合だった」と笑顔で語った。

 また、南朝鮮のロベルト・アルベルツ監督(オランダ)は、「組織力やチャンスの数も朝鮮の方が多かった。終始、試合をリードしていたと思う。印象に残る選手?プレーした11人すべてがそうだ」とインタビュールームで答えていた。

 朝鮮代表コーチとして参加している在日本朝鮮人蹴球協会の梁相弘副会長(大阪朝鮮高級学校サッカー部コーチ)は、「監督とコーチ、選手同士の雰囲気がいいことが、勝利の要因としてあげられる。今までの朝鮮サッカーにない雰囲気作りや指導方法があってこそ、ここまで勝ち進めたと思う。選手たちは活発で愛嬌があり、とても楽しんでやっている」と語っていた。

[朝鮮新報 2004.9.16]