朝鮮女子ボクシング界のスター、リ・ジョンヒャン選手 |
【平壌発=文:李相英記者、写真:姜鐘錫記者】朝鮮で人気の高いボクシング。最近は男子とともに女子ボクシングも盛んだ。ここ数年の間に、平壌市体育団や鴨緑江体育団をはじめ、全国24の体育団に女子ボクシングチームが生まれ、国内競技大会も盛んに行われている。今では「男子を凌ぐ勢い」(関係者)と言われている朝鮮女子ボクシング界を代表するのが、咸興市鉄道体育団に所属するリ・ジョンヒャン選手(22)だ。
祖父、父ともにかつて選手であったという、朝鮮では有名なボクシング一家に生まれたリ選手。 父でありコーチでもあるリ・キジュンさん(55)の指導のもと、2002年トルコで行われた第2回世界女子ボクシング選手権大会で48キロ級を制し、2001年の第1回アジア選手権と2003年の第2回大会を連覇するなど、数々の国際大会で優勝してきた。 現在は10月末に台湾で行われる国際女子ボクシング選手権大会に向け、平壌で練習に励んでいる。 父とともに人民体育人称号も授与されるなど、若くして頂点をきわめたボクシング界の女王がその先に見据えるのは、世界選手権連覇と親子3代の夢であるオリンピックでの金メダルだ。 天性の反射神経 父キジュンさんの半ば「強制的」な勧めで、中学校2年の時にボクシングを始めたというリ選手。当初はとまどいもかなりあったという。「今と違い女性がボクシングをするなんて考えられない時代。周りの友だちもみな驚いていた」。 しかし、父は娘の素質を見抜いていたようだ。 「幼い頃から音楽的素質の優れた子で、とくに踊りや楽器をやらせるとリズム感が抜群だった。テコンドーの大会で優勝するなど、もともと運動も得意だったので、これはいけるぞ、と思っていた」 リ選手の強さの秘密は、その天性ともいえる反射神経にある。コーチによると、他の選手に比べパンチに対する反応速度がずば抜けているという。 ボクシング選手の顔は、目の周りと頬骨のあたりが腫れ上がる傾向にあるが、リ選手の顔はまったくきれいなもの。ヘッドギアを着用しても顔面へのダメージは避けられないが、アマチュアではなくプロボクシングから習い始めた彼女は練習中もヘッドギアを着けずに打ち合うというから、その反応速度は類まれである。 得意の左ストレートとディフェンス技術を武器に、国内外の試合で現在まで無敗を誇っている。 受け継がれる血 リ選手の祖父である故リ・スグンさんは、1923年、慶尚北道で生まれた。日本の植民地支配下で幼い頃から辛酸を舐めてきた彼は、家族とともに日本に渡りボクシングを学んだ。プロボクシングの道に進んだスグンさんはバンタム級で活躍、8回戦まで進み将来も期待されたが、当時の日本社会で朝鮮人ボクサーに対する風当たりは強く、わずか一度の敗戦で選手生活をやめざるをえなかった。 「父は『木村正一』という名前でリングに上がっていた。自分が朝鮮人でありながら、日本名でボクシングをせざるをえなかったことが、生涯の心残りだと生前話していた」とキジュンさんは語る。 引退したスグンさんは、立命館大学でコーチを務めたあと、小さなジムを経営するかたわら、京都中高教育会副会長、京都体協会長などを歴任し、63年朝鮮に帰国した。日本では不本意ながら現役から退いた彼だったが、帰国後は後進の指導に力を注ぎ、76年モントリオール五輪で金メダルを獲得したク・ヨンジョ選手を育て上げた。 息子のキジュンさんもまた、朝鮮でボクシングを学び、国内選手権をはじめ数々の大会で優勝するなど、ボクシング一家の血は親から子へ連綿と引き継がれている。 祖父、父の思い胸に ボクシングは「たたかう朝鮮人民の気性に合っているから好き」と語るリ・ジョンヒャン選手。10月末の国際大会も「準備は万全だし、優勝の自信はある」ときっぱり。 朝から晩まで練習漬けの毎日。やめようと思ったこともあったそうだが、ボクシングの魅力にとりつかれた今は、より高い目標を目指している。 女子ボクシングはオリンピックの正式種目には含まれていないが、リ・キジュンコーチは、「2008年北京五輪から正式種目として採用される可能性が高い」と話す。 「五輪はアスリートにとって最高の舞台。ぜひ出場し、金メダルを狙いたい」。リ選手は自らの夢を力強く語った。 「ボクシングに人生を捧げてきた祖父と父の想いを受け継ぎ、これからも国際舞台で朝鮮の選手として堂々とたたかい勝利を勝ち取っていきたい」 [朝鮮新報 2004.10.4] |