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高麗SC、「幻の日本一」が30年の歳月経て「日本一」に

 関東地方に在住する40歳以上のメンバーで構成された在日同胞シニアサッカーチーム「高麗SC(サッカークラブ)」が日本スポーツマスターズ(9月23〜26日、福島県・Jビレッジ)で初優勝した。平均年齢47歳、薄くなった頭に白髪、少し出たお腹。しかし単なるアボジチームではない。1970年代、数々の強豪校を倒し「幻の日本一」といわれた東京朝鮮高級学校サッカー部員、全盛期の在日朝鮮蹴球団、各地の朝高、朝鮮大学校で活躍した選手らが名を連ねており、20年の歴史を誇る伝統あるチームだ。

あくまで「全国制覇」

優勝を決め、監督を胴上げする選手たち

 現在、高麗SCのメンバーは約30人。99年、その強さを日本のサッカー関係者らに知らしめる功績を生んだ。

 日本最大規模のシニア大会である「古河市マスターズサッカー大会」第9回大会での初優勝(5月)を皮切りに、波崎シニアカップ(10月)、マスターズサッカー御殿場カップ(11月)でも優勝し3大会を制覇した。

 東京都北区シニアサッカーリーグでも99年度優勝の実力を見せつけた。

 01年、日本サッカー協会主催のマスターズ全国大会開催が決まった。それまで外国人選手が6人以上いる高麗のような「準加盟」チームに全国大会出場の資格はなかったが、同年から出場できるようになった。

 初の全国大会出場に向けて燃えた。同年、東京都予選を勝ち抜き関東予選決勝戦までこぎつけたが、埼玉の代表に惜敗、出場は果たせなかった。雪辱を晴らそうと望んだ02年。東京都大会、関東大会で優勝し初の全国大会の切符を手にした。準決勝で敗れたものの、初出場で堂々の3位入賞。しかし、高麗SCはこの結果に満足することなく、あくまで「全国制覇」にこだわった。

 03年は関東予選で敗北。そして、2年ぶりの全国大会で念願の初優勝を果たした。

情熱に心打たれ

高麗SC対兵庫シニア選抜との決勝戦

 かつて彼らは日本の公式戦に出場できなかった世代。帝京、習志野、国体選抜など…数々の強豪に勝ってきた往年の名選手たちだ。

 「幻の日本一」とささやかれ、苦汁をなめた日々を片時も忘れたことがなかった。そんな思いを抱えた仲間たちが長い歳月を経て、全国を目指しはじめた。メンバーの中には、10年以上もサッカーから遠ざかっていた人もいる。

 スポーツマスターズ決勝戦でゴールを決めた夏文煥さん(42)。東京朝高、朝鮮大学校とサッカーを続け、大学2年の時には朝鮮代表にも選ばれた。

 「ずっとサッカーをやってなくて、高麗SCに入ったのは昨年。こうやってふたたびサッカーができるのは本当にうれしい。ゴールするのはやっぱり気持ちいい」(夏さん)

アボジらの勇姿を見ようと会場に駆けつけた家族ら

 呉泰栄会長(50)も東京朝高サッカー部OBで元在日朝鮮蹴球団員だ。「優勝はとても感慨深い。この日を胸に秘め、昔の仲間と共にがんばってきた。われわれは在日同胞の代表。在日サッカーの伝統を後世にしっかり伝えていきたい」と胸を張る。

 一方、試合になるとグラウンドでは「カラ(行け)!」、「チャノッキ(シュート)!」などの朝鮮語が飛び交う。ベンチからも「チョッタ(いいぞ)!」などのほとんど檄(げき)に近い声が飛ぶ。

 「在日同胞を代表するチームだとみんなが自覚しているから、こうやって試合中でも朝鮮語が出るんですよ」と話すのは梁祥亀さん(50)。過去、副会長として活動し、今は「顧問」としてチームを支える。

 梁さんは、「自分はサッカーのことをあまり知らないが、メンバーのサッカーに対する情熱に心打たれ共に活動してきた。『在日』のチームとしての存在を周りにアピールすることが大切だ」と語る。

 サッカーに情熱を傾ける高麗SCのメンバー。30年以上が経った今も、そのきずなはサッカーボールでしっかりと結ばれている。(金明c記者)

[朝鮮新報 2004.10.7]