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40回を迎えた在日本朝鮮人中央ゴルフ大会、大衆化と技術向上に貢献

 1964年5月、1世、2世のゴルフ愛好家たちの熱い思いを一つにして開催された在日本朝鮮人中央ゴルフ大会が今年で40回目を迎えた。10月27、28の両日、千葉県の姉ヶ崎CCで行われた40回記念大会には、全国各地から172選手が出場した。27日には、都内のホテルで第40回在日本朝鮮人中央ゴルフ協会の総会が行われ、総聯中央の梁守政副議長、金尚一文化局長、体育連合会の鄭元海会長たちが駆けつけ、同協会と大会の発展に大きく貢献した李奉国名誉会長(商工連合会会長)をはじめとする関係者の労をねぎらい、新しく選出された呂光市会長ら新執行部役員たちを激励した。

40年の歴史と伝統

中央ゴルフ協会の新しい理事会役員たち

 在日本朝鮮人中央ゴルフ大会は64年5月、「全国ゴルフ大会」の名のもと、神奈川県の大箱根CCで初めて開催された。そして翌年の10月には在日本朝鮮人中央ゴルフ協会が正式に結成され、初代会長に李在東さんが選出された。

 大会は、回を重ねるごとに参加者が増え、第8回大会からは個人戦に加え団体戦も始まった。そして、同胞ゴルフ愛好家が全国各地に増える中で地方協会の活動も活発化し、現在22都道府県に地方ゴルフ協会が結成されるに至った。

 現在、大会は1部、2部、シニアの3部門で個人戦と団体戦が行われ、毎年約200人の選手たちが出場する一大イベントに発展したが、その転機となったのが87年。同年5月に中央ゴルフ協会が再建され、当時の文秉彦会長と李奉国理事長(現名誉会長)が中心的な役割を果たした。

 以降、在日本朝鮮商工連合会が主催してきた大会を同年の23回大会から中央ゴルフ協会が主催し、あわせて各地方協会が持ち回りで大会を主管することによって、大会はよりいっそう大衆化された。同大会と併行して92年から選手権大会、02年からシニア大会が開催され、選手たちの技術向上に大きく貢献した。

 中央協会では90年の北京、98年のバンコク、02年の釜山のアジア大会に朝鮮代表としてそれぞれ選手を派遣したが、これも協会役員の努力のもと中央大会が間断なく継続された結実といえよう。

 同協会の「萬石理事長(55)は、「40回の歴史を垣間見ると、先輩たちが築き上げた財産の重みを感じる。大会の伝統が後輩たちに受け継がれていくようがんばっていきたい」と語った。

地方協会の活性化

 今大会は、同胞社会を取り巻く厳しい政治、経済情勢の中、また大会直前に襲った新潟県中越地震や相次ぐ台風などの自然災害によって各地の同胞が被害を受けるなど、逆風の中で行われたが、大会関係者、選手らは、協会と大会のさらなる発展のため一致団結していくことを堅く誓いあった。

協会と大会の発展に大きく寄与した李泰国名誉会長(左)に花束を贈呈する呂光市新会長

 節目の大会を迎え、山口県ゴルフ協会の李栄鎬会長(中央協会副会長、58)は、「昔と今は時代こそ違うが、変わらないのはゴルフに注ぐ情熱だ。力を結集しこのすばらしい器を後輩たちに残せるようやっていく」と語る。

 また、北海道体協・金明奎前会長(60)も、「この場に立ち会えてとてもうれしい。大会を通じて得た人的財産は、私の宝物。今後とも権威ある大会であり続けるよう私もみんなとともに努力していく」と語った。

 兵庫県ゴルフ協会の趙和雄理事(41)は、「40年間継続してきたことに、組織の力のすごさを感じている。総聯しかできないことだ。大会の発展とともに、地元の兵庫でジュニアの育成などに携っていきたい」と話す。

 中央協会の呂光市会長(61)は、「諸先輩の尽力があって40回の節目を迎えた。私たち新しい役員たちはさらなる団結をはかり、伝統を引き継ぎいろいろな意見を取り入れて邁進していく。中央発でなく、地方協会の活性化が中央大会を盛り上げ、そこでの刺激が地方に還元されるような大会にしていく」と今後の抱負を語った。(千貴裕記者)

[朝鮮新報 2004.11.4]