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〈投稿〉 「絆−家族の姿」を読んで

我が家と重なり

 2月14日付女性欄の「絆−家族の姿」を読み、我が家のことと重なり、黄さん夫婦には共感すると同時に希望を捨てず、これからも治療をがんばって欲しいと思いました。
私たち夫婦も教員同士で、姉さん女房。3年間子宝に恵まれず…私の場合は不任症で教員をしながら2度の流産、治療に専念しようと辞めてからも3度目の流産。

 4度目の妊娠でやっと産んだ息子(先天性の病気−5000人に1人−でNICUに2カ月半入院)が、今年の春に幼稚園に入園します。いろんな人に支えられてここまで来ました。永淑さんもわが子を抱く日が必ず来ると信じて、つらいと思いますが治療をがんばってください。息子も半年に1度の病院での検査は続いていますが、朝鮮学校側の理解と協力のおかげで入園できることをうれしく思っています。「家族の絆」本当に大切ですよね…。(兵庫県、主婦、35、金美和)

記事に涙

 連載「絆−家族の姿」は、本当に良い内容だと思います。1回目の記事を見て、私は涙を流しました。

 「絆」。人の縁とは奇遇なものです。私はこのタイトルを見て、いろいろなことを振り返ってみました。親、兄弟との縁、友達との縁、夫婦の縁、子どもたちとの縁、歴史との縁、その中で出会った指導者との縁…。このようなたくさんの人々の中で生きて来た生活、その1つ1つがつながっているということを考えました。多くの縁の中で、私にとっては指導者との縁が、自分の人生をまっ直ぐに生きていくうえでの最高の出会いとなりましたが…。今、日本の厳しい情勢のもとで、この記事は同胞たちに力と勇気を与えるはずです。奮闘をお祈りします。(大阪府、会社員、61、任元宰)

母への想い

 2月21日付「絆−家族の姿」を読んで、母親の手ひとつで3人の子どもを育てた記事には、大変共感、感動を覚えました。環境は違えど、このようなオモニたちは、在日には大勢いると思います。在日のオモニ1人1人にそれぞれの歴史があると言うのを、朝鮮新報の記事を読むたびに考えさせられます。みな、すばらしいオモニたちです。

 とくに資格を取るために学校に通ったという内容には、感心させられました。

 ここの行で、私のオモニが思い出され、涙しました。

 両親がいましたが、昔の人間で、その日暮らしがやっとの生活の中で、私も朝鮮学校へ通いましたが、中学を卒業して高校へ行く段になって、入学金が払えず、どうしようかと思い悩みました。入学金の話を両親にできませんでした。お金がないと言うことがわかっていたからです。今も朝鮮学校はお金がかかると言われていますが、昔も変わりません。

 入学金を納入していないので、入学式に行っても、入学したことにはならず、クラス割にも名前がないだろう。行くだけ行って、トンムたちに別れを告げ、仕事を探そうと思っていました。がしかし、まさに入学式の当日、いつものように学生服に着替えながら、「これが最後の学生服かな」と家を出ようとした時、オモニが「これを持って行け」と袋をくれました。何かと思っていたら入学金でした。金額も納入のことも言っていないのに、どこでどう聞いたのか、その金額が入っていました。

 オモニは「持って行け」の一言だけで、何も言いませんでした。私は袋を握りしめて「タニョオゲッスムニダ(行ってきます)」と家を出ました。学校での道すがら、涙が止まりませんでした。

 オモニは日頃、悔やんでいました。学びたくっても、女が字を習って何をするのかと、学校には行かせてもらえなかったと…。

 そのオモニが支部の成人学校で、初めて字を習い(もちろん朝鮮語)、自分の名前を書いたときの喜びようは、今でも脳裏に浮かびます。日雇いの仕事を終えて、家事の後、支部に通いました。疲れよりも、学べるという喜びでルンルンでした。ノートに何回も書きながら「どうや、合ってるか」とニコニコしていました。声を出しながら朝鮮新報を読むうれしそうな姿が忘れられません。

 とりとめのないことを長々と書いてしまいました。

 これもウリオモニたちのひとつの歴史の1ページだと思います。さまざまなオモニたちがいっぱいいるんだと、あらためて思い出されました。

 「家族の絆」。朝鮮学校に通った人だけが感じられる「民族心」ではないでしょうか。

 取材される記者の方々のご苦労がにじみ出ている内容だと思います。出張されるごとにいろんな困難に遭遇することと思いますが、くれぐれもご自愛なされるよう、切に願っております。すばらしい記事よりも、信実に勝るものはないと存じます。(匿名希望)

[朝鮮新報 2005.3.14]