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第61回国連人権委に参加した若い世代

学び、広め、大きなうねりに(朝青鳥取、任国主副委員長)

 国連人権委員会への参加は、私にとって大きな転換的契機となりうる、貴重な体験となった。

 思い返せば、1月29日に行われた朝鮮人強制連行真相調査団全国協議会西日本報告会に参加したことが、今回の参加契機となった。

 21世紀を迎え、在日朝鮮人の考え方にも未来志向が生まれてはいるが、今なおわれわれの周囲にはこんなにも未解決の問題が山積みされており、差別や在日朝鮮人運動の根本問題(謝罪と補償)さえないがしろにされているという事実を再確認した。

 日本の真の謝罪と補償が在日同胞たちの生活、権利を改善していくうえでの大前提にならなくてはならない。普段は朝青イルクン(活動家)として同胞たちの生活や権利、民族性を継承していくと謳いながら、実は何よりも取り組むべき、また強いて言えば自分がイルクンになる動機でもあった問題に対して、あまりにも無関心だったことに落ち込みもした。

 その後すぐ、朝青中央委員長に会った席で委員長に前述のような自分の思いを打ち明けた。それが今回の参加につながったと思う。

 今回の代表団は主にセセデたちで構成された。民族教育に対する差別、遺骨問題、戦後補償、「従軍慰安婦」問題などを訴えたが、これらはすべて地域における地道な活動の上に成り立つものだと実感した。その上で国連のような国際舞台で訴えていく、その両方の意義について考えさせられた。

 イルクンである以上、同胞たちの力を一つに結集させ、問題解決に取り組んでいく手腕が必要だと認識した。

 朝青では今年、地域の同胞の歴史を保存し広めていく活動が活発に行われているが、まずは学び、そして広め、大きなうねりとなるよう取り組んでいかなければならない。

 そのためにもこれから、セセデ3団体はもとより、地域の同胞と組織がスクラムを組んで、助け合い、活動していけるよう微力ながら尽力していきたい。

「共和国に守られている」実感(千葉青商会、姜尚賢副会長、李福学幹事長)

 われわれは委員会での発言を終え、すぐに国連欧州本部に支局を構える日本のマスコミ各社を訪問した。民族教育に対する差別政策を是正するよう訴えたわれわれの発言について報道してほしいと要請した。だが、一行一句も報道されなかった。

 考えてみると、日本が国連の勧告を何度も受けているということを当の日本人は知らないのではないだろうか。今回それを痛感させられた。

 発言後、各国政府代表やNGO関係者を招きフォーラムを開催し、民族教育権問題について意見交換した。 

 日本は国連の勧告を受けながらも、なぜ問題を改善しないのかという素朴な質問に私自身も考えさせられた。

 総会決議に次いで重要とされる勧告をないがしろにする日本が、国連安保理常任理事国入りを求めているのがとても滑稽に思えた。

 しかし、われわれを勇気づけてくれる人たちがいた。

 あるイギリスのNGO代表は、なぜ国連の勧告を武器に日本や世界のNGOに呼びかけないのかと助言し、連帯を表明してくれた。南朝鮮のNGO代表は、日本の過去の清算問題として日本での民族教育問題も扱われなければいけない、民族教育は日本政府が保障しなければならないと述べていた。

 われわれは共和国代表部の大使館と国連代表を表敬訪問した。われわれを心温かく迎えてくれたことに、ありがたさと感動をおぼえた。

 とくに、青商会をはじめとする朝青、留学同の若い世代が中心になって国連で活動したことは意義深いことで、たいへんうれしいと大歓迎された。

 後に聞いた話では、青商会の発言後、日本側からの反論があろうかと共和国の代表がそれに対する反論を準備していたそうだ。結局、この問題での日本側の反論はなかったが、「われわれは共和国によって守られている」ことを実感できた一つのエピソードだ。

 今後は、民族教育と千葉朝鮮初中級学校を守るための一口募金を広範囲に展開していきたい。

 また、市区町村にはじまり市、県、国の全ての議員らを「一人一議員担当制」で訪問し、交流をはかるとともに、ウリハッキョ訪問を要請する。

 さらに、国連人権委員会「教育の権利に関する特別報告官」を日本に招き、民族教育の現状を見てもらうことを目指し、どのようにアプローチし、準備すればいいのかも研究してみたい。

 最後に、継続して国連に青商会の代表を送っていくことを提案する。

「何ができるのか」を探す機会(留学同大阪、劉由子)

 出発前は「代表」という言葉に正直、プレッシャーを感じていた。留学同の、大阪の、学生の、セセデの、そして在日朝鮮人の代表…。国連人権委員会の場で何をすればいいのか、と。

 けれど、友だちや先輩、後輩、そして家族が応援してくれるのを見て、貴重な機会が与えられたことに感謝し、「何をすればいいのか」ではなく、そこで「自分に何ができるのか」を探して全力で取り組もうと思った。

 代表団は民族教育、遺骨、そして「従軍慰安婦」の問題を人権委員会に提起した。会議で発言するとともにNGO集会も開いた。

 私は発言後にNGOや各政府に関連資料や集会のビラを作成・配布し、集会での発言を通訳した。また、遺骨問題を提起した尹碧巖住職(国平寺)の発言の代読もした。

 私の行動の一つひとつで在日同胞、民族の声を国連人権委員会、国際社会に届ける手伝いができているのかと思うと、新入生を動員するときの緊張と、行事を通して同胞や日本の友だちに理解を広げることができた時の喜びが入り混じったような心境で、顔がほころぶ毎日だった。

 今回の活動を通して強く感じたことは、日本でもこの活動を続けていかなければならないということだ。

 私は留学同の一員として、今の社会情勢の中で日本の大学に通い自らの出自を隠していたり目をそむけたり無関心になっている在日同胞学生に、諸々の国連委員会の日本政府に対する勧告や、北南両政府が日本政府に対しどのような見解を示しているのかを伝え、あらためて在日朝鮮人という自分と向き合えるよう活動していきたい。

 また、これらの活動は日本の報道機関にいっさい報じられていない。留学同は日本の大学に拠点を置いているので、今後大学内の在日同胞学生や日本人学生、教授に伝え、ともに活動を展開していきたい。

 在日朝鮮人のセセデたちに、1、2世のハラボジ、ハルモニ、アボジ、オモニたちが死に物狂いで守ってきたものが何なのか、祖国が歩んできた道、これから進む道は何に基づいているのかをしっかりと見つめ、見間違うことなく引き継ぎ、わたしたちの子どもの代に手渡すまで守り続け、在日同胞社会をさらに発展させていくよう呼びかけたい。

[朝鮮新報 2005.5.7]