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イギョラ! 安英学!-1-〜夢に向かって〜 「夢はW杯、海外リーグ」

 2月9日、サッカーワールドカップアジア地区最終予選、朝鮮代表×日本代表戦。「イギョラ! アンヨンハク!」の掛け声は、同胞と日本人らの合言葉となってフィールドにこだました。在日朝鮮人Jリーガー・安英学(名古屋グランパスエイト、26)。献身的なプレー、言葉からにじみ出る謙虚さと思いやり、そしてルックス…。その姿の虜になったのは同胞だけじゃない。日本人までもがその魅力にとりつかれた。「ワールドカップ出場」「将来は海外でプレーしたい」と夢に向かって走り続ける。

 ●名古屋グランパスエイト。ポジションはMF、背番号17。考え方、プレースタイルが実にまっすぐで、「サッカー小僧」の面影を色濃く残す。日本代表戦で見せたタフで活力に満ちた奮闘ぶりは人々の心を魅了した。

安英学選手

 1978年10月25日、岡山県倉敷市生まれ。5歳の時に東京へ。東京朝鮮第3初級学校から東京朝鮮中高級学校に通い、立正大学に進んだ後もサッカーを続けた。「在日朝鮮人として生きる自分を表現しよう」と選んだ舞台−それがJリーグだった。アルビレックス新潟から今季、名古屋グランパスエイトに移籍。

 ピッチに立つ時の心理状態は、日本人やほかの外国人Jリーガーとは少し違う。

 祖国と日本の間に横たわるさまざまな問題。「万景峰92」号、拉致…チマ・チョゴリが切り裂かれる事件、朝鮮学校への脅迫電話などが相次いだ。朝鮮学校で育った安が後輩たちを守ることはごく自然な事だった。そして、その方法はたった一つ。「自分の活躍で同胞たちに勇気を与えること」。

W杯アジア最終予選の対日本戦での安選手(2月9日、埼玉スタジアム)

 日朝関係を自分がどうにかするんだという気持ちでサッカーをやっているわけじゃない。純粋に応援してくれる人がいるから一生懸命サッカーをやる。気づいたら同胞だけじゃなく、日本人が互いに手を取り合って応援してくれていた。本当にうれしかった。

 アルビレックスに入団した02年、拉致問題が発覚したときに、新潟朝鮮初中級学校の生徒たちを元気づけてあげようとケーキを持っていった。運動会やハッキョの食堂で食事したりして。子どもたちと遊ぶのがとても好きだったから、むしろ僕にとって癒しの空間だった。

 同胞たちは同じ「トンポ」だということで実力とか関係なしに応援してくれる。でも日本人の場合は、ある程度実力が認められないと応援してくれない。「在日」だからとか関係なく新潟の人たちは純粋に応援してくれていた。

 ●朝鮮代表。在日朝鮮人のサッカープレーヤーなら誰もが憧れる。しかし、それは「雲の上の存在」。

 プロになった後、もちろん代表も目標だった。ソウルでの北南統一サッカー(02年9月)で初代表に選ばれた。でもまさか1年目で召集されるとは思ってもみなかった。

 正直、国家代表は漠然としか思い描けなかった。どうやって呼ばれるのか、システムもよくわからなかった(笑)。選ばれた年の02年はW杯で盛り上がっていて、「自分もこの舞台に立ちたい」と思っていた。統一サッカーの試合は、後半40分から5分間しか出場できなかった。正直「お客さん」扱い。その時は悔しかったけど、とうとう代表の一歩を踏み出したんだなぁって感じだった。

 それからもう声がかからないのかなと思っていたら、04年のW杯1次予選のタイ戦から代表に召集されて、平壌で行われたタイ戦で代表初ゴール。あの2得点は自分でもびっくり(笑)。これがターニングポイントだった。絶対に結果を出さないといけないって気持ちで望んだ。この試合で監督と選手、平壌の人々に認められたと思う。

 ウリハッキョに行っていても、一生懸命がんばれば誰もがJリーガーや国家代表にもなれることを示したい。

 ●「在日・安英学」のプライドはどこから来るのか。

 意識して「在日だ」なんて思っていないけど、名前が「安英学」だし、在日としての意識は自然にあった。ウリハッキョでは当然、付き合う人たちがみんな同胞だったから。知り合いの先輩、後輩たちみんな在日としての誇りを持って生きている。そんな中で育って自然と培われてきたものかな。別に普段はチームメイトに「俺、在日だからなめんなよ」とか言わないし(笑)。

 とにかくプロとして好きなサッカーをまっとうしたい、自分の夢を叶えたいという気持ちが一番。でも自分は在日朝鮮人。夢を実現することによって、在日の人たちに力を与えるという役割がついてくる。それこそ「やりがいが2倍」になっている。夢はワールドカップに出ること。ヨーロッパでトップレベルのリーグでやること。

 ●同胞、日本人、出会ったすべての人々に感謝の気持ちを忘れない。

 朝・日戦はみんなが「チョソンサラム(朝鮮人)としてのプライド」を持って応援してくれたと思う。これからもその気持ちを忘れないで生きてほしいし、応援してほしい。ここまで来られたのは、めぐり合わせや運がよかったからだと思っている。ターニングポイントでアドバイスをくれた人たちが今の僕を作ってくれた。これからもサッカーを通して、お世話になった人たちに恩返ししていきたい。(金明c記者)

 ※次回から、安英学選手の幼少時代から現在まで、出会った人々との話を中心に集中連載します。

[朝鮮新報 2005.5.14]