イギョラ! 安英学!-2-〜サッカーとの出会い〜 いつもボールと一緒 |
朝鮮学校の男子生徒たちにとって、何より人気のスポーツは昔も今もサッカーだ。放課後、運動場をのぞくと、ボールを蹴る生徒らの姿がどこに行っても見られる。サッカーは朝鮮の国技。同胞らのサッカー熱も他のスポーツの比ではない。 東京朝鮮第3初級学校に入学した安英学も当然のようにサッカーを始めた。「自然にサッカーボールで遊んでいたし、初級部のときは楽しいからやっていた」。 オモニの鄭末禮さん(56)は、「とにかくいつもボールと一緒。本当にサッカーが好きでした。落ち着きはなかったけど活発で、とにかく目立っていた」と語る。明るく快活な姿は家族や親せきたちをいつも喜ばせていた。
「本当に子ども好き。いつも『俺が(Jリーガーや代表で)できるんだからみんなができる。夢を与えるんだ』って言ってます」 息子を見守ってきた鄭さんは、「まずはしっかりチームに貢献すること。みんなに愛される優しい子であってほしい」と願う。 当時、同校初級部サッカー部指導員だった金信義さん(55、東京第2初級・教育会副会長)も、当時を感慨深く振り返った。 「サッカーが大好きで、勉強もできて人気者。弱音を吐いたことがなく、試合をやれば負けたくないという強い気持ちをつねに持っていた」 そんな金さんも、安の大ファン。「ウリハッキョで培われた『朝鮮人としての魂』というのかな、それをとても強く感じる。今では逆に力をもらっています」。 93年、Jリーグが開幕。当時、中級部3年だった安はその華やかさに引きつけられた。そして東京朝高サッカー部へ。公式戦に出場できなかったものの、「幻の強豪」と呼ばれた同校サッカー部。「常勝チーム」のイメージは今でもつきまとう。同胞らの期待も大きい。 当時、東京朝高サッカー部監督として高1から3年間、安を指導したのが現体連副理事長の李清敬さんだ。 94年、朝鮮学校に全国大会出場の門戸が開かれた。安は高3在学中。インターハイの東京都予選ではベスト8止まりだった。 「基本に忠実に」。当時、李さんがモットーとしていた事だ。練習では基礎体力をつけるためにとにかく走らせた。安も朝高時代の練習を振り返って、「走ったことしか印象がない」ともらす。 強靱なフィジカルとスタミナはこの時期から培われてきた。02年の北南統一サッカーに出場するため、代表合宿に参加した安がフィジカルテストを受けた際、代表のトップ選手と変わらない体力を持っていた事に朝鮮のコーチ陣が驚いたというエピソードがある。 李さんは当時の印象をこう語る。「練習は厳しくてつらかったと思うが、とにかくサッカーが好きで、そんなことはまったく苦にしてなかったんじゃないかな? がんばり屋で、器用で、いつもボールとたわむれていた」。 ボールとたわむれる姿から「少年らしさ」が垣間見える。プライベートで、子どもとたわむれて遊ぶプロの選手はどれほどいるだろうか。 「『子どもが好き』という安は本当に素直で、好かれるのは自然なこと。『遊び』の中にこそ彼のサッカーの原点があると思う」(c) [朝鮮新報 2005.5.19] |