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白血病乗り越えた玄泰成さん(大阪朝高ラグビー部OB) 「支えてくれた同胞、組織の大切さを実感」

みんなの励みで今の自分が

 大阪朝鮮高級学校ラグビー部は第83、84回全国高校ラグビー選手権大会に2年連続で出場した。その応援席に、白血病を乗り越えた同部OB、玄泰成さん(25)の姿があった。「後輩の勇姿をこの目にしっかり焼き付けたい」との一心で会場に駆けつけ後輩らに声援を送った。成功の保証はなかったが、意を決して望んだ昨年2月のさい帯血移植。その後、病院の医師も驚くほどの回復ぶりで、今では普段どおりの生活に戻りつつある。「自分の知らないところで支えてくれた同胞らがたくさんいた。同胞組織の大切さを心の底から実感している」と語る。

働き、資格取得の勉強

元気な姿を取り戻した玄泰成さん(右、仲のいい朝大ラグビー部時代の後輩と)

 「人間って嫌なことはすぐ忘れるじゃないですか。自分もそんな性格なんですよ」と無邪気な笑顔を見せる。

 ラグビーで鍛えられた体力と精神力、陽気な性格からか白血病であったことを今では微塵も感じさせない。現在は知り合いの不動産屋で働きながら、資格取得のための勉強を続ける毎日だ。また、1カ月半ほどの割合で骨髄の定期検査を行う。これは完治するまで続けられる。食事の制限は特にない。しかし、大好きなラグビーはドクターストップがかかった。

 「担当の先生が『あんな激しいスポーツはだめだ』って言うんで今はやっていない。けれど体はうずうずしますよ」

 玄さんは8年前の主将。朝鮮大学校に進んでからもラグビーを続けた。卒業後は東京の会社に勤めながら朝大ラグビー部の指導にあたった。

 03年8月、急に首が痛み都内の病院で診察を受けた結果、急性白血病と診断された。

 「白血病=死ぬと思ってましたから、先に死ぬからごめんって親に謝った…」

 親兄弟の住む大阪で治療を続けることを決めた。大阪へ向かう新幹線の中、「通り過ぎる人々が違う世界の人に見えた…」。

 抗ガン剤、放射線治療、無菌室での生活…。府立成人病センターでの闘病生活は想像を絶するつらさだった。

 「治療を続けていく生活がつらくて途中で何度もやめようと思った」

 そんな時、病院の担当医師に叱咤された。「まだまだ若いのにあきらめるな。治る可能性のある病なのにやめるんじゃない」。

「経験談が力になれば」

 玄さんの病気を知った大阪朝高時代の同級生、同胞らは水面下で支援するための活動を始めた。

 03年10月17日、大阪朝高時代の同級生3人が共同代表となり「白血病と闘うヒョン・テソン青年を支援する会」を発足。50余人の有志らで事務局を結成した。「骨髄バンク」事業の解説・宣伝、「骨髄バンク」登録者の募集、支援募金の協力を訴えた。

 白血病の有効な治療は骨髄移植。兄弟は4分の1で適合するが一致せず、両親、親族にも一致する人がいなかった。日本、韓国、台湾で登録されている各骨髄バンクにもあたったが、それもだめだった。

 そんな時、大阪朝高ラグビー部の「花園」初出場のニュースが届いた。金信男監督と後輩らから励ましの言葉が書かれたラグビーボールと千羽鶴が送られた。「全国大会出場」、そして「ヒョン・テソン先輩の回復」と書かれていた。

 「諦めずにがんばるしかない。負けられない」

 04年1月の仮退院後、いくつかの治療の選択を迫られることになった。さい帯血移植、抗ガン剤治療など。どれも成功の保証はない。

 「生きるか死ぬかなら、もうやってまえと。正直、怖かったけど開き直るしかなかった」

 昨年2月に、さい帯血の移植を受けた。その後、3カ月間の無菌室生活が一番苦しかった。体中が痛み、40度以上の熱も出た。しかし、家族らの助けと自らの強い意志がそれに打ち勝った。それとともに、大阪府下の朝鮮学校、広島、長野、下関、新潟の各朝鮮学校、総聯支部や同胞からも千羽鶴や色紙、手紙などが届き、「とても力になった」。

 症状は上向き現在に至る。

 「少しずつ仕事もして勉強もして、同級生らと飲んだりしながら毎日を過ごしたり…そんな日常が本当に幸せなんやなぁって。今は一日一日を大事にしていきたい。これからですか? 来年になって一生続けていく仕事を考えたい」と語る玄さん。

 今では白血病患者やその親などが玄さんのもとに相談に訪れるという。自らの闘病生活を話すことによって少しでも力になれればという思いがある。

 「見知らぬ同胞からたくさん手紙をいただいた。その一つひとつがどんなに励みになったことか。同胞たちみんなのおかげで今の自分がおるんやって。そのためにもがんばって生きたい。これからしっかり同胞社会に貢献することが支えてくれた同胞たちに応える道だと思っている。支援してくれた同胞のみなさんには心から感謝しています」(金明c記者)

[朝鮮新報 2005.6.11]