〈夢・挑戦−在日スポーツ人〉 北海道初中高 ウエイトリフティング部監督 金尋さん |
数々の名選手を産み出し、日本の全国大会などでも高い成績を上げている北海道朝鮮初中高級学校ウエイトリフティング(重量挙げ)部。
1996年、李康成選手のインターハイ出場にはじまり、その翌年から中学選手権大会で朴徳貴選手が新記録を出し優勝、「良哲選手が3位。その後もインターハイや高校選抜などで99年、00年、02年、03年、04年に優勝するなど好成績を収め、尹秉普A韓慶一、姜星竜、金恵娟、李在Q、徐文平選手らがその伝統を受け継いでいる。 朝鮮高級学校生徒にインターハイ参加の道が開かれたのは94年。中級学校生徒には、97年から全国中学生体育大会参加の道が開かれた。 北海道朝鮮初中高級学校ウエイトリフティング部監督の金尋さん(50)は、「息子(金太壌、現・同校ウエイトリフティング部コーチ)の時代は、まだインターハイ出場権がなかった。しかし、当時の記録はインターハイ出場選手の2位と並んでいた」と話す。
同校にウエイトリフティング部が創られたのは97年。創部そうそう、朴徳貴、「良哲という優秀な選手を輩出している。 「部員5人くらいの少人数の中で、われわれは効率の良いトレーニングをすることに力を注いでいる。監督、コーチ、選手、親が一丸となって目標に突き進む。これが勝利の秘訣」と金さんは熱く語る。 ウエイトリフティングは階級別に競技が行われ、男子は53s級から105sを超える級まで9階級、女子は48s級から75sを超える級まで7階級で構成されている。 「ウエイトリフティングというと、学父母たちの中には嫌がる人も少なくない。生徒本人がやりたいと言っても、親が反対するケースはよくあること。ウエイトリフティングはマイナーなスポーツだ。だからこそ常にチャンスがある」
金さんの話によると、ウエイトリフティングの良いところは、@階級別なので体が小さかったり、力に自信がなくても大丈夫、A高校から始める人がほとんどでスタートが一緒、B競技人口が少ないので、大会に出やすい、C男子はたくましい体に、女子は引き締まった美しい体になる、といったことになるだろう。 学生の頃、金さんは陸上部の短距離選手だった。金さんがこの「マイナーなスポーツ」に関わり始めたのは「会社の従業員の中に経験者がいた」ことがきっかけだった。「勧められるがまま、息子とともに始めてみた」。 北海道朝鮮初中高級学校には、サッカー、陸上、バスケット、舞踊、吹奏楽といったサークルがある。このうち男子が入れるのは、サッカーと陸上のみ。97年からウエイトリフティング部が加わり、いわゆる「運動が苦手」な生徒たちがこのサークルに入部してきた。 「走るのが早いとか、球を蹴るのがうまいという身体能力や技術がなくても、この競技はできる。毎日こつこつ練習を積み重ねていくと、体がつくられ、力がついていく。北海道朝鮮初中高級学校には、そのための施設も十分備えられている」 練習場には防音マットをはじめ、筋力トレーニングのための機材が備えられている。改装には約1千万円が投じられた。 金さんは、南朝鮮からソウル・オリンピックのナショナルチームを指導した名コーチを招いた。 90年代半ばのことだった。 「まだまだ国家保安法による締めつけが厳しかっただけに、朝鮮学校に足を踏み入れた当初、コーチは不安を隠しきれない様子だった。朝鮮語で会話をし、生徒や先生たちと接するうちに、コーチは朝鮮学校に理解を示し、生徒たちに親身に接するようになっていった」と、金さんは「これまで話せなかった裏話」を明かしてくれた。 金さんの話によると、南朝鮮は世界レベルの練習方法を科学的に分析し、積極的に取り入れている。 招いたコーチの指導を受け、親たちも選手の食事の管理等に協力した。生徒には、練習記録とともに自分が何を食べたかを細かく書かせた。 また、国際試合に先立って、朝鮮や米国での強化合宿も敢行。同校選手の活躍の裏には、北南朝鮮および家族や学校など、いろんな人たちの陰ながらの支え、協力があった。 「スポーツも人生も、目標があるからがんばれる」と金さんは断言する。インターハイで優勝すると、日本の大学への推薦が受けられる。同校ウエイトリフティング部の卒業生たちは、明治、早稲田、中央大学などに推薦入学した。 「勉強ができる子は勉強して大学に行ったらいい。スポーツが得意な子はスポーツで道を開いたらいい。朝鮮学校の生徒たちが、それぞれの持ち味を生かして自分の人生を切り開いていけたら、それはそれでいいんじゃないか」 金さんは、ウエイトリフティング国際審判員の資格も持ち、02年、釜山で開かれたアジア大会にも参加した。00年、在日本朝鮮人体育連合会15番目の種目別団体・在日本朝鮮人ウエイトリフティング協会会長にも選出された。 「朝大にもウエイトリフティング部があればと思う。ちゃんとした施設があって、きちんとした指導を受ければ国家選手も夢ではない。高級部で良い選手を育てても、そのあとに続かないのが残念だ」 ウエイトリフティングを同胞の間に広めると同時に、いずれは国家選手を育て、朝鮮代表選手として国際舞台で活躍させたい−それが金さんの夢だ。 「一度決めたら最後まであきらめない。しつこくしつこく、夢と希望と目標を持って、達成するまで突き進むこと。そうすれば必ず結果が出る」と金さんは若い選手たちを激励する。(金潤順記者) [朝鮮新報 2005.7.21] |