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朝鮮大学校創立50周年に向け 朴英植新理事長に聞く

すべての卒業生、同胞たちが大学発展に力を合わせよう

 武蔵野平野の面影が色濃く残る東京都小平市の一角に広がる朝鮮大学校キャンパス。総連結成の翌年、56年4月に創立されて以来、祖国と民族の未来を担おうとする星雲の志を抱く若者たちがここに学び、1万4000人の卒業生を世に送った。

 この4月、同校理事長に就任した朴英植さん(62)は、来年創立50年を迎える大学の歴史上はじめての非専任理事長。加えて、静岡朝鮮学園理事長を25年も務め、「民族教育こそわがライフワーク」と自負する情熱家である。日本経済の不振、少子化の波が在日同胞社会にも影響を及ぼしつつある昨今、大学経営の前途にも難関が待ち受ける。この局面をいかに打開していこうとするのか、朴さんは夏休み返上で、エネルギッシュな日常を送っている。

 朴さんはこの4月、就任にあたって、並々ならぬ決意をこめたあいさつ状を学生の父母をはじめ各方面に送った。「私たちをとりまく環境は、日増しに複雑な様相を呈しており、その一方で愛国1世たちが築いた業績を受け継いでいく民族教育の地位と使命はいっそう重要になっています。私は自らが引き受けた、朝鮮大学の理事長という重責を肝に銘じ、みなさんの期待に応えたいと思います」。

 新しい出発にふさわしい新鮮な「やる気」が伝わってくる。

 「本学は主席と総書記の慈しみ、祖国の温かい配慮と在日同胞の気高い理想、たゆまぬ努力に支えられてきた。北南、海外を問わず、朝鮮民族共通の財産。新世紀を迎えて、世代交代が進む中で、同胞コミュニティーを維持し、自己の民族性を守るうえで本校の役割はますます重要になっていくだろう」

 大学の理事長室で言葉をかみ締めながら、力強く語ってくれる朴さん。とはいっても、家族、友人、周辺の人たちからは「あえて火中の栗を拾わなくても」と心配する声も上がったという。

 その思いを聞いてみた。

 「14年前に亡くなった父は静岡の総連、商工会、信用組合、学校などの要職を歴任し、同胞たちから慕われ、信頼されてきた。母も女性同盟の副委員長、妹も朝鮮学校の教員だった。父母からは理屈では言い尽くせない民族の心と同胞への愛情の深さを学んだ」

 父・朴鍾吉さんは静岡県下で知らぬ人のいない愛国者だった。愛国活動に献身する姿を間近に見て育った朴さんにとって、ほかの選択肢はありえなかったのだ。

全学部が製作した朝鮮大学校の案内

 そして、もう一つのこだわり。それは日本の高校を出て、62年に朝大(政経学部)に入学した体験が原点にある。

 「民族色の強い家庭だったが、高校までは日本学校だったので、言葉や文化、歴史を知らなかった。朝大でウリハッキョから来た同級生たちを見るとまぶしかった、彼らが。猛烈に勉強したよ、彼らに負けたくないと」

 時は60年代、大学の草創期。同級生には全共闘の猛者や南の4.19革命に加わった若者もいた。一方で社会主義祖国への夢を抱いて、帰国する者も後を絶たなかった。

 「私たちの世代は、明日にも祖国統一が実現すると信じていた。毎日勉強してその後は労働に明け暮れた。教職員、学生、同胞みんなで寄宿舎や図書館、講堂の建設に従事した。日常そのものが創立間もない大学建設のエネルギーで充満していた」

 この熱い青春の日々が、朴さんの自己形成に圧倒的な影響を及ぼした。やがて大学を巣立ち、地元・静岡に帰った朴さんは、朝青委員長として活動。転機が訪れたのは7年後だった。叔父の死去によって家業の遊技業を引き継ぐことになったのだ。

 そして、今日までの32年間、総連支部の総務部長をはじめ、静岡朝鮮学園理事長、静岡朝鮮初中級学校教育会会長、県商工会副会長の重責を担ってきた。また、家庭では2男3女の父。「子供たちをすべて初級部から朝大まで出したことが誇らしい」と胸を張る。

 朴さんは静岡朝鮮学園理事長、体連副会長のポスト以外はすべて返上して、今、大学理事長の仕事にエネルギーを傾注する。1カ月のうち3分の1を大学のために東奔西走する日々である。50人の理事会職員たちに求める仕事のスタイルも、企業人としての目が生かされている。

 「厳しい経済状況を打破して、学生や教員たちが安心して学び、研究する環境を整えるためには、昔のままではいけない。経営を正常化するために、大学運営に協力を惜しまない理事、賛助者を早急に増やすことが急務だ」と力説する。

 来年創立50年を迎える大学では、研究棟、図書館、寄宿舎、歴史博物館などの改造、補修事業なども計画されている。また、時代のニーズと同胞社会の実情にそって、常に教育内容とシステムを改善していかねばならない。昨今の法律、コンピューター、生活科学、福祉、スポーツ分野の専門家育成のための学部、学科、コースの新設は、同胞、商工人たちから歓迎を受けた。

 「教育事業は国家百年の大計。それを異国でやりとげようとするのは簡単ではない。しかし、来るべき統一時代、発展する科学技術の時代に対応する有能な人材を育成するためには、不断の努力によって大学の繁栄を財政的に支えていかなければならない」

 日本各地を行脚しながら、自らのビジョンを語り、大学への協力を情熱的に訴える日々が続く。「一人だけの力では及ばない。大学の夏休みを利用して、教職員たちにも各地の学父母、卒業生、及び商工人たちにあいさつに伺うようはっぱをかけた。その折にはぜひ、よろしくお願いしたい」と朴さんは破顔一笑した。

 夫人の趙宮子さん、長男・b秀さん(32)はじめ家族の惜しみないバックアップ態勢も心強い。率先垂範と民族教育への惜しみない愛情が多忙な日常のエネルギー源だ。(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2005.8.2]