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〈今年で結成10周年〉 「チョソンサラムとして育てたい」、「ムジゲ会」全国交流会

久しぶりの再会の喜びに浸る交流会参加者ら

 「障害者と接し、理解することは日常的なこと」となるにはいまだ、何層もの壁があるようだ。これは8月21〜23日にかけて開かれた、同胞障害者をもつ親たちの会「ムジゲ会」全国交流会(愛知、岐阜)で参加者が切実に確認したことである。「同じ悩みを持つ6人のお茶飲み友だち」から始まり、今年で10周年を迎えた「ムジゲ会」に長く携わってきた親らは口々に、「誰もが健常な子どもを生むとは限らない。障害を持って生まれたわが子をどう育てるのか。ムジゲ会はそれを考えさせてくれる場」だという。

 「障害者をもつ親はここに参加してほしい、同じ苦しみを持っているから」。「ムジゲ会」全国交流会の参加者らは全国からの「友だち」との再会に浸っていた。「友だち」とは−x同じ悩み、障害をもった子どもを生み、もがき苦しんだ経験を共有しあった親同士。

 「傷のなめあい」ではなく「どうすればいいか」を同胞同士一緒に考えて、情報交換していくムジゲ会。この会にこられないくらいに重度の障害をもつ同胞障害者もいる。そんな親にも「ぜひムジゲ会に出てきてほしい、親同士の会だから」とムジゲ会のあるアボジは話す。

ムジゲ会10周年記念祝賀会が交流会初日、名古屋コリアンスクールで行われた

 どんな障害をもって生まれても「家族の輪」を作ってくれるわが子を「チョソンサラムとして育てたい」、そのために「ウリハッキョにいれたい」という親の想いがある。日本の養護学校で民族性を育むことはできない。

 兵庫ムジゲ会会長の李久美さん(49)の息子宋鐘功さん(24)はかつて、姫路朝鮮初級学校に通っていた頃の同級生から同胞成人式に出席するよう誘われたことがあった。初級部5年生以来、学校が違う同級生らの心遣いに李さんは「息子への思いやりがありがたかった。途中までだがウリハッキョに通わせて本当に良かった」と話す。

 初級部の頃の後輩らは、卒業後も学校に行くと「チョンゴン(鐘功)ヒョンニム」と腕を引っ張り、教室で昼ごはんを一緒にほおばったりもした。幼い頃から鐘功さんのまわりの同級生、後輩らにとって、障害をもつ鐘功さんと接することはごく「当たり前」で、「自然なこと」だった。

 このようなケースもある反面、ウリハッキョに障害児を受け入れるしっかりとした体制が整っているとは言えない。これは「学校サイドの問題」と指摘するオモニもいた。オモニらからは「ウリマルを習わせたい、朝鮮舞踊を習わせたい」という意見もきかれる。親としてはぜひとも通わせたい「ウリハッキョ」なのである。幼い頃から障害者と接することは健常者にとっても大事なことだ。

 雑誌「イオ」(96年9月号)でムジゲ会の存在を知ったという山口ムジゲ会会長の崔玉貴さん(43)。「子どもが生まれて半年間泣いていた。人に見せたくなかった。自分がそういう子を生んだという恥、朝起きて夢じゃないと気づき、また涙があふれた。同胞とはもう付き合えないと思った。かわいそうと思っちゃいけない、かわいそうではなく正しい理解が必要」。今では「親の愛情があるからこの子は幸せ」と笑う。

 偏見を持たず、世の中に障害をもった「こういう子がいる」ということを知ってほしいとオモニらは言う。「幼い時に接するほどすぐに溶け込む」とはオモニらの経験談。またチョソンサラムとして生きていくには同胞の理解が不可欠だ。障害への理解は福祉活動の発展へとつながる。

 「これまでの経験をこれからムジゲ会に入ってくるアボジ、オモニらに伝えていくことが自分たちの役割」―ムジゲ会のベテランアボジ、オモニらの談。今後ムジゲ会は、これから生まれてくる障害をもつ子どもがいても「ムジゲ会がある」と安心でき、親が苦しまない道を作り、また親同士の連携とともにムジゲ会をサポートしてくれる福祉連絡会との連携を大事にしていく構えだ。(李東浩記者)

[朝鮮新報 2005.9.3]