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〈朝鮮の食料問題解決とジャガイモ栽培G〉 採種体系の確立が急務

無ビールスイモ

 試験栽培2年目の02年2回目の訪朝は海路でということで、「万景峰92」号に上船したのは7月19日だった。

 9次にわたる代表団の訪朝で初めての船旅だった。また、この時は飛行機の便がとれず、平壌から大紅湍まで汽車で行くことになって7月22日の夜、平壌駅から列車に乗って大紅湍へと向かった。

大紅湍試験圃では農薬散布が機械化されている(02年7月)

 列車には乗ったものの行きも帰りも実に長くかかる旅となった。私にとっても生まれて初めての長旅の経験だった。

 さて、2回目の訪朝の目的は試験区のいろんな品種の育成状態の調査と、9月の収穫までの対策をたてること、それからジャガイモ研究所と連携を深め、原種栽培用ハウスの利用状況をみて採種圃や水耕栽培施設の見学などを通して採種体系確立に向けた意見交換を行うことなどであった。

 現地に到着した代表団は大紅湍郡の技師長の出迎えを受けて、その間の状況を聞くことができた。

 技師長の話によると試験圃の作況は非常に良いとのことだった。農薬もその時まで6回散布し、7月23日現在疫病の発生は1カ所もなく、播種機(プランター)で試験区だけでなくほかの圃場も合わせて80ヘクタールも植えたという。とくにかまぼこ型培土機が好評で150ヘクタールのジャガイモ畑で使用したとのことだった。

 代表団は技師長の話を聞いて旅の疲れを癒す間もなく、すぐに試験圃に出向いて育成の状況を見てまわった。そして作業員とともに地上部の茎長、茎数、生葉数、分枝数、開花状況などを調べた。また、アトランダムにいくつかの株を抜き取り塊茎の大きさと重量、畦幅と株間の長さの平均値など全般的な生育調査を行った。

 生育調査の結果、技師長のいう通りジャガイモの作況はとてもよく、心配していた疫病の発生もなく順調に育っていた。

 聞くところによると5月17、30日と6月25日には霜害に見舞われ、7月6日と17日には豪雨に見舞われるなど冷寒多湿な悪条件の中でも疫病に耐え抜きすくすくと育っていたのである。

 これは4月の訪朝時に代表団が技術指導した通り、浴光催芽を徹底し、適期に植え付け生育状況に合わせて培土作業をこまめにやり、7月23日まで6回も疫病防除の農薬散布を行うなど営農管理を適正にした結果だ。しかし試験圃全般をみて、在来種の中に20〜30%程度の罹病株がみられた。それで大紅湍2号品種の任意の健全株と罹病株を抜き取り比較してみたところ、塊茎の数と大きさで大差があり、重量でも10倍以上の差が認められた。

 このことはアブラムシの被害がまだ出なかった時点で、植えつけた種イモ自体がすでにビールスに感染した罹病イモだったとしか考えられず、このまま放置すれば2次感染の被害が懸念された。

 代表団は採種体系を確立し、無ビールスイモを種イモとして植えなければビールス罹病株がでることは必定であり、これでは30〜50%の減収になるということを戒めると同時に、薬剤防除と罹病株の抜き取りを指示した。

 代表団はこの2回目の現地入りの機会にハウスの設置状況や、ジャガイモ研究所の水耕栽培施設、それに採種圃も見てまわり、大紅湍での採種体系確立で解決しなければならないいくつかの問題点について現地の専門家たちととことんまで意見交換を行った。

 次に、この2回目の訪朝で代表団が得たジャガイモ生産に対する確信について述べてみよう。(洪彰澤、元朝鮮大学校教授)

[朝鮮新報 2005.9.20]