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〈夢・挑戦−在日スポーツ人〉 大阪朝高ボクシング部監督 梁学哲さん

 梁学哲さんは、大阪朝高赴任後、ほとんど休みなくボクシング指導に明け暮れてきた。家族と過ごす時間は限られた。

セコンドにつく梁監督。しっかりと選手の目を見ながらアドバイスを送る

 「(家族を)犠牲にしているといったらそうかもしれない。家族でどこかへ行くといっても夜の食事くらい。でもその分、結果を出そうと心に決めていた。自分の子どもよりも、生徒らの指導や気配りに心血を注いできた」

 25歳の時に結婚。家庭を優先させようと、何度かボクシング指導をやめようと思った時期があった。しかし妻、息子と娘4人の支え、励ましで今日に至った。

 こんなエピソードがある。「ボクシングは男が戦う場所」−というポリシーから、妻を一度もボクシングと関係した場に出席させなかった。

 しかし、02年10月、共和国功勲体育人称号を授与された際、OB、学父母らが催してくれた宴会の席に初めて妻がみんなの前に顔を出した。あいさつに立った妻から「『ボクシングを取ったら何も残らない人』と言われてしまった(笑)」。

 そして03年の在日朝鮮学生中央大会。梁さんの「戦場」に初めて妻が訪れたのだ。選手や学父母、関係者らとあいさつを交わす姿を見ながら、「一つ肩の荷が下りたというか、ホッとした」と振り返る。

第27回キングスカップアマチュアボクシングトーナメント(4月、タイ)に朝鮮の国際審判員として参加した梁学哲監督(後列右から2番目)

 「ボクシングが本当に強いのは『北朝鮮』。自分の国があるんだから、そっちのボクシングを習えばいい」−80年代半ばごろ、奈良県立王寺工業高校ボクシング部監督だった樋山茂さんからかけられた言葉が転機になった。

 90年に初めて祖国のボクシングに触れた。平壌で行われた国際オリンピック委員会主催の指導者講習会に参加したのだ。

 「東ドイツのコーチからボクシングの理論を習った。そこで得た体験を『民族教育でしかできないボクシング』へと理論化した」

 平壌から戻ってすぐに生徒たちに祖国のボクシングの風を吹き込んだ。「主体」を立て、ボクシング用語もウリマルにした。梁さんは、ボクシング指導においてあるスタンスを堅持している。それは「教育者」としての立場からボクシングを教えることだ。

 「目は高く頭は低く」の精神で高い目標へ向かわせ、「すべての人たちへの感謝の気持ちを強く拳に込めろ」と教えこんだ。

今年の祖国強化合宿に参加した朝高生らと国家総合代表チームで記念撮影

 「きちんとした生活をする生徒を育てる。ボクシングはましてや自己管理の世界だから、それができない人間は上にはいけない。朝高ボクシング部で培った精神が社会に出ても役立つようにと、一人前の大人にして送り出すんです」

 また、「高校のクラブは、高校の教師が監督になって生徒の授業態度や日常生活を把握してこそ初めて芽がでる」と言い切る。

 その言葉は、今までの努力と経験に裏打ちされたものだけに説得力を持つ。「教育者として叩き上げ、自分でその地位を確立した人間だけがクラブ指導をしても生徒を育てることができる」が持論だ。

 現在の目標は、08年の北京オリンピックに国際審判員として参加することだ。すでに、アジアのレフェリー資格を得ているが、そのために来年のアジア大会で国際ジャッジの試験を受ける予定だ。

今年10回目となる朝高ボクシング部の祖国強化訓練で、02年世界女子ボクシング選手権大会48キロ級でMVPに輝いたリ・チョンヒャン選手(右)と監督である父のリ・キジュンさん(左)とともに

 現在、国際審判員は約1500人いる。北京オリンピックのボクシング競技には、5大陸から40人だけが審判員として参加できる。

 「朝鮮の国際審判員としてオリンピックに参加するのが最終目標。ボクシングは朝鮮が強いから次々と目標ができる。朝鮮の威信を背負って世界の舞台を目指したい」

 今は、後進の指導者育成も念頭に置いている。

 「指導方法や日本のボクシング関係者らの人脈など、自分が培ったものを少しずつ引き渡していきたい。2〜3年すれば引導を渡したい」

 今年4月に赴任してきた宋世博教員(23)がその担い手だ。大阪朝高、朝大でもボクシング部に所属した。

 「梁先生の業績が大きくてプレッシャーは相当なものですよ。教員としてもボクシング指導者としても横にいるだけで本当に学ぶ事が多い。今は自分の色を出すというよりも、しっかり引き継いだものを生徒らに叩き込んでいきたいという気持ちでいっぱい。大阪朝高の伝統あるボクシング、祖国のボクシングを教える過程でもっと強い人間を育てて、社会に送り出したい」

 選手として教育者として監督として、ボクシングの道を一心に駆け抜けてきた梁さん。

 座右の銘は「ボクシングを通じて強い選手を育てるよりも、強い人間を育てる」こと。その気持ちはこれからも揺るぎない。(金明c記者)

[朝鮮新報 2005.10.3]