top_rogo.gif (16396 bytes)

朝鮮大学校教育学部 鄭鐘烈学部長 世界で初めてクロツラヘラサギの人口繁殖、飼育

 「鳥類研究の過程で一番うれしかったことは、離散家族の再会の橋渡し役になれたこと。もう一つはたくさんの生徒らが関心を持ってくれたこと」−朝鮮大学校教育学部・学部長の鄭鐘烈教授(60)は長年の研究を振り返り語った。バードライフインターナショナル(旧国際鳥類保護連盟)が組織したクロツラヘラサギ保護プロジェクトの研究責任者として活躍する鄭学部長。来年、朝大では創立50周年を迎えるにあたり、北南朝鮮の研究者が一堂に会し「アジアの渡り鳥保護シンポジウム」が催される。「北南双方の研究者が手をつないでいくことで、クロツラヘラサギの研究も大きく前進するだろう」と鄭さんは胸を躍らせる。

天然記念物クロツラヘラサギ

 現在、朝大の飼育舎にはさまざまな鳥が飼われているが、その中には世界で初めて人工繁殖、飼育に成功した2羽のクロツラヘラサギがいる。

 それらの鳥を飼育、研究するのが鄭さんと「鳥類繁殖研究サークル」の学生らだ。鳥類の繁殖研究を中心として自然界における生態および絶滅に瀕した鳥類の保護を目的に活動している。

 クロツラヘラサギは、世界に1400羽しかいない天然記念物で朝鮮半島、中国、台湾、香港、日本などに生息する。

 87年7月、朝鮮民主主義人民共和国で繁殖したヒナ(60日令)2羽が朝大に送られてきた。それから2年間飼育した。そして89年3月、成鳥に育ったクロツラヘラサギ2羽を多摩動物公園に贈呈し、本格的に共同研究をスタートさせて人工繁殖に成功した。

 ヒナが送られてきたきっかけは、87年に行われた「第1回朝・日渡り鳥保護シンポジウム」。ここで、当時世界に280羽しか生息していなかった絶滅危惧種のクロツラヘラサギの人工繁殖に取り組むことが合意された。

 鄭さんはその後、国際シンポジウムを開くなどして海外の鳥類研究者らと共に第一線で活躍する。「鳥類の研究に携わるとは夢にも思っていなかった。さまざまな人たちの巡り会わせで今の自分がある」と感慨深く振り返った。

鳥にエサを与える鄭教授

 朝大理学部卒業の鄭さんは、元来生物学を専門分野とした。同学部助手、教員として朝鮮で砂糖問題を解決するための事業に尽力し、84年には朝鮮から生物学準博士の称号を授与された。

 それまでは、鳥類分野に関する知識は全くといっていいほどなかった。ただ「元来、鳥が好きでね。小さい頃に飼っていたことがある」。鄭さんはそう話すと子どもに戻ったように無邪気に笑った。

 鳥類研究へのきっかけは1枚の写真である。

 「キタタキ(=클락새)ってどういう鳥なんだろう」

 師範教育学部教員時代、学生らに理科教授法を教える時、実際の写真なしで教えるわけにもいかないと思い、78年の祖国訪問の際に現地スタッフからもらったのがキタタキの写真だった。

 「人間とは欲深いもので、『その場所に行ってみたい』とずっと思い続けていた」

 83年ごろに転機が訪れる。科学雑誌「ニュートン」編集部から大学へ一本の連絡が入った。「朝鮮にトキはいませんか? 写真がほしい」「トキはいないが、朝鮮半島にしか生息していないキタタキの写真ならある」と。最初は興味を示さなかったが、後に鳥類研究所の専門家から「世界で初めて」の物と聞かされ一同が驚いた。

 キタタキの調査から日本野鳥の会とも親しくなり、ツルに関する朝鮮の資料の入手と提供、そして共同研究が活発化していった。

 87年には「日朝渡り鳥保護シンポジウム」、91年と92年には、日本の鳥類研究者と朝鮮で共同調査が行われた。

 「堰を切ったような交流の進展に正直驚いた。北南の研究者と同じ土俵に立って、朝・日、北南間の橋渡しになりたいと思ってやってきたから」

 渡り鳥であるツルの研究が進む一方、金日成総合大学から資料としてもらった絶滅危惧種のクロツラヘラサギの写真が新たな研究分野へと導いた。

 日本野鳥の会と「ニュートン」の関係者との会合でその写真を披露した際、みなが驚いた。クロツラヘラサギの研究は、その生息地であるアジア諸国の国際情勢が複雑なため、どこで繁殖しているのかも不明で保護研究は進展していなかったからだ。

 それから朝大でクロツラヘラサギの研究が始まり、現在では多くの鳥類研究者や愛好家たちが大学を訪れるようになった。

 鄭さんがこの仕事で得た一番うれしいこと、それは「離散家族の再会を果たせたこと」だと語る。

 66年、南朝鮮の鳥類学者ウォン・ピョンオ博士が標識リングを装着し放した鳥が、朝鮮の鳥類学者で父であるウォン・ホング博士により捕獲されたこのニュースは南朝鮮、日本で大々的に報道された。当時、鄭さんは大学生だった。

 87年、鄭さんはある国際鳥類会議でウォン・ピョンオ博士と出会い、手紙を託された。朝鮮にいる鳥類学者の親せきにあてた手紙だった。

 「当時、総連関係者との接触でスパイ容疑にかけられるのではないかと、博士は不安に思っていたはず」

 鄭さんが平壌にいる博士の親せきに手紙を渡した時、彼はその場で泣き崩れた。30数年前に生き別れになった母と妹が生きていると書かれていたためだ。2年後、親子は平壌で再会を果たしたのだった。

 偶然が偶然を呼ぶ出会いが、微生物学を専門分野としていた鄭さんを鳥類研究者へと変えてしまった。いつしか学内外で「鳥といえば鄭学部長」と知られるようになった。

 「自分は研究者でもあり、教員でもある。同研究の担い手をしっかりと育てていきたい」と語る鄭さんは、今日も朝大飼育舎でゼミの学生たちと共に鳥たちに笑顔をおくっている。(金明c記者)

[朝鮮新報 2005.11.11]