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朝高の強さの理由

 不思議な感覚を持つようになったものだと思う。大阪朝高のラグビー部が「花園」出場を逃したことに少し驚きながら、同校サッカー部の全国選手権出場決定に以前ほど大騒ぎしなかった自身の感覚についてだ。

 それほど各地の朝高が強くなり、それも毎年強いチームが作れるようになったということなのだろう。

 強い朝鮮学校に「慣れ」てしまったと言えば言い過ぎかもしれないが、地区予選の準々決勝、準決勝ぐらいでは騒がなくなってしまった。5年前はこうではなかった。

 その強さの理由は何だろうと考えてしまう。全国大会常連校がそうであるように、各地から優秀な選手たちを集めているわけでもない。部活のための寮があって、部活が学校生活のすべてというわけでもない。

 記者が尊敬してやまないある教員は、この強さを「歴史の身体化」と表現し、「歴史力(れきしぢから)」と呼んだ。勝てば「道を開いてくれた先輩たちのおかげ」という言葉が出る、その認識が精神を強くし、それを発揮した結果が朝高の強さだという分析だ。なるほど、くらいついて負けないその精神力と、その具体化でもある技術が「歴史力」だとするならばそうなのかもしれない。

 しかし、選手たちはこうも言うだろう。「同胞たちの声援が力になった」と。

 「歴史力」はなにも先輩の姿から後輩が得るだけのものではないだろう。全力で走って戦う選手たちを出身校や年齢などにかかわらず、「朝高だから」応援すること、それがもう一つの「歴史力」なのだと思う。

 今年の冬は大阪朝高サッカー部の後輩たちに精一杯の声援を送り、逆に彼らを元気づけてみよう。強い朝高に慣れることなく、彼らの活躍と勝利に期待しよう。後輩たちの姿を見ながら、久しぶりに大騒ぎしたいと思う。(麗)

[朝鮮新報 2005.12.6]