〈東京朝鮮第2初級学校土地問題裁判〉 学校側弁護団、権利を主張 |
不当な都の訴訟 歴史的経緯無視 東京都が東京朝鮮第2初級学校(東京都江東区)に対し、校地として使用している都有地の明け渡しなどを求めた「枝川裁判」が行われている。昨年12月16日には第5回口頭弁論が行われた。口頭弁論で学校側弁護団は、民族教育権の法的、歴史的根拠について説明。在日朝鮮人子女たちが民族教育を受ける権利を持っていることを強く主張した。そして、日本が批准している「子どもの権利条約」や国連社会人権規約委員会の総括所見、日本弁護士連合会の勧告及び調査報告などに言及し、一国家が教育を受ける権利を侵害してはならないと指摘。また報告会では、在日朝鮮人にとって「民族教育は命」だと強調し、歴史的経緯を考慮すれば、むしろ日本政府が補助金を出してしかるべき問題だと厳しく指摘した。都側は、「資料がない」「当時の担当者が死亡、高齢のため調査できない」などと不誠実な発言をし、不可解にも「これ以上、積極的に何もしない」と言い切った。また、同校の運動場の一部を「道路だ」と言い張るなど、呆れた主張も行った。 「継続使用には善処」
東京都は2003年12月15日、東京第2初級が校地の一部として使用している約4000m2の都有地の明け渡しと、1990年4月以降の使用相当損害金として約4億円の支払いを求め、東京地裁に提訴した。 都の不当な提訴にもかかわらず、産経新聞などの一部の報道機関も「不法占有」などと騒ぎ立てた。だが、それは歴史的事実をまったく無視したものだった。 問題となっているのは同校の敷地約5400m2のうち、約4000m2の都有地。同校は、都側との「土地使用貸借契約書」に基づき1990年3月まで無償使用した。同契約書には、契約終了後「学校用地として継続使用する必要がある場合は協議し善処したい」と明記されている。同校と都は、土地の払い下げに関する交渉を行ったが、92年頃から中断した。 だが、同校所在地の枝川地区住民に対する居住地の払い下げが2000年に行われたのに伴い、01年2月から都職員の要請で交渉が再開された。 一方的な交渉打ち切り
同年5月に行われた港湾局と学校側の交渉の席上、港湾局課長は、交渉中断について謝罪し、過去の賃貸問題に対しては請求をしないことを表明した。また、同年9月の学校訪問時、住民たちと意見交換し、@歴史的な経緯を尊重するA住民の払い下げ条件(市価の1割以下)に添った形で払い下げを検討するB公的、また住民にとって大事な場所ということを考慮する―との立場も明らかにした。 しかし、2003年8月、「都は土地の適正管理を怠っている」として、自称区民の元都議ら3人が監査請求。10月には監査委員会が「(問題の)土地の無権原(無契約)占有状態の是正及び無権原占有に伴い都が被った損害の補てんのために必要な措置を講ずること」を都に勧告した。 都は、年額7600万円の賃貸料と、土地使用貸借期間が満了した1990年から2003年3月までの土地使用料相当額として6億2200万円を請求してきた。さらに港湾局は、概算で13億円という、まったく歴史的経緯を無視した莫大な売却金額を提示してきた。 さらに、交渉担当者も変え、同年10月には「交渉での解決は無理」と一方的に交渉を打ち切り、裁判に持ち込んだ。 強制移住させ管理放棄 戦前、東京市は1940年に開催予定だった東京オリンピックと万博会場確保のため、浜園、塩崎などでバラックに住んでいた朝鮮人約1000人を、枝川1丁目に建てた簡易住宅に強制移住させた。ゴミ焼却場の悪臭やハエに悩まされ、降雨時には糞尿などの汚水であふれたという。 行政側は簡易住宅の管理を完全放棄し、当時の朝聯(現在は枝川住宅管理委員会)に委託された。そのため、住民自らが住宅の補修や道路、下水、ガスの整備を行った。 このような歴史的経緯から、住宅は市価の7%という低額で住民に払い下げられたが、同じ敷地内にある東京朝鮮第2初級学校(朝鮮人の同化を図る教化施設「隣保館」を利用して1945年に設立)は除外された。 一方的で不当な都の対応に、関係者らは怒り、子どもたちの権利擁護のために立ち上がった。 同校の学父母、関係者らは即時に、地域住民に対する説明会や歴史的経緯を踏まえた払い下げを求める署名運動を展開した。また、弁護団と専門家らが同校を訪れ視察、関係者らとの懇談を行い、裁判に臨んだ。過去5回にわたる裁判でも多くの関係者が傍聴に訪れ、支援も行っている。 第6回口頭弁論は2月18日、東京地裁(東京都千代田区)で行われる。(李泰鎬記者) [朝鮮新報 2005.1.15] |