日弁連勧告書−8− 「治安維持法」人権救済申立事件 |
5 国の救済義務の発生 (1) 本来、国による人権侵害性が認められたならば、国は、その時点で直ちに被害者救済のために必要な措置をとるべきである。しかも、侵害された人権が、精神的自由権の最も中核的な「思想良心の自由」「表現の自由」であることからすれば、その救済の必要性、緊急性は高い。 しかし、大日本帝国憲法下で治安維持法が存在している当時の法体系の下では、直ちに国による救済を求めることは期待できない。 (2)ポツダム宣言受諾による国内法秩序への影響 日本の敗戦とポツダム宣言の受諾により、日本は連合国軍の占領下におかれ、1945(昭和20)年9月2日の降伏文書の調印により、連合国軍最高司令官はポツダム宣言の諸条件を実施し、日本政府に履行せしめる権限をもつことになった。連合国軍最高司令官は1945(昭和20)年10月4日、その権限にもとづいて「政治的、市民的及び宗教的自由の制限除去」と題する日本政府に対する覚書を発した。その第4項として、市民の自由を弾圧する一切の法令の廃止または停止が要求されていた。それによって廃止または停止されるべき法令として、治安維持法、思想犯保護観察法その他の関係法令が例示され、示唆されていた。 日本政府は、この覚書による指示をうけて、いわゆるポツダム勅令として同月15日に「治安維持法、思想犯保護観察法等廃止の件」を廃止した。これによって1925(大正14)年の制定以来、国民の思想、信条と社会活動をはじめ生活全般にわたって深刻な影響を与えてきた治安維持法は廃止され、法文上もその効力が失われたことが明らかにされた。 このように、治安維持法の廃止はポツダム勅令の形式でとられたが、実質的には、ポツダム宣言の受諾により治安維持法の存立の基礎をなす法秩序の改変があったものである。 これについては、いわゆる横浜事件第3次再審請求事件(横浜地裁平成15年4月15日決定。以下、「横浜事件」)において、検察官において、ポツダム宣言は日本がこれを受諾した8月14日の時点では法的効力を生じておらず、かつ、9月2日の降伏文書の調印により法的な効力を生じた以降においても、日本は国際的に法秩序改変の責務を負ったにすぎず、直ちに国内法秩序改変の効果は生じていない、と主張している。 しかしながら、日本が8月14日にポツダム宣言を受諾したことにより、国家体制が革命的に転換され、旧憲法をはじめとした国内法秩序もポツダム宣言の内容とする諸原則に従って変革が生じたと解する(「8月革命説」)かどうかはともかくとして、前記横浜事件決定(判例時報1820号45頁)が判示するとおり、「8月14日に天皇が終戦の詔を発したことにより少なくとも勅令を発したのに準じた効力が生じたというべきであり、ポツダム宣言は国内法的にも効力を有するに至ったというべきである」。 したがって、同事件検察官の主張するように、ポツダム宣言受諾により日本が法秩序改変の対外的な義務を負ったに過ぎず、直ちに国内法秩序改変の効果は生じていないとするのは妥当でない。 (3)ポツダム宣言受諾による治安維持法の失効 上記のように、ポツダム宣言は、その受諾により日本の国内法秩序改変の効果があったと考えるべきであるが、治安維持法も実質的に失効したといえるか。 まず、前記の、ポツダム宣言の受諾により国内法秩序が革命的に変革し治安維持法も全面的に失効したとの見解をとれば、当然治安維持法も実質的に失効したと考えられる。 しかしながら、かかる見解をとらなくとも、治安維持法の内容をポツダム宣言の内容に照らし合わせれば、同様の結論が導かれる。 すなわち、横浜事件決定は、「ポツダム宣言10条後段では、戦争終結の条件として、日本国国民間に於ける民主主義的傾向の復活強化、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重の確立が命令形と解しうべき文言によって求められている。上記条項は、治安維持法等の放棄の改廃を直接に要求するものとまでは言い難いが、これが国内法化されたことにより、当該条項と抵触するような行為を行うことは法的に許されない状態になった」とする。 そして、「本件でAらに適用された治安維持法1条には『国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他指揮者タル任務ニ従事シタル者ハ死刑又は無期若ハ7年以上ノ懲役ニ処シ情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ3年以上ノ有期懲役ニ処ス』と規定され、同法10条には『私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ10年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス』と規定されている。これは態様を問わず特定の事項を目的とした結社をすることなど自体を処罰するものであって、かかる行為自体を直接に処罰することは、民主主義の根幹をなす結社ないし言論の自由を否定するものである」とし、当該条項を適用し違反者を処罰することは、上記ポツダム宣言の条項と抵触するものである、と判示する。 同決定は、その結果、「治安維持法1条、10条は、ポツダム宣言に抵触して適用をすることが許されない状態になった以上、もはや存続の基盤を失ったというべきであり、実質的にみて効力を失うに至ったと解すべきである」と結論づけた。 横浜事件における鑑定人(大石眞京都大学教授)意見も、「治安維持法第1条所定の『国体』…の意味については、大審院の判例があり、『万世一系の天皇君臨し統治権を総攬し給ふこと』と解釈されている(大審院昭和4年5月31日判決)。この意味における『国体』は、天皇の権限の始源性、総攬性を前提とした天皇制であり、したがって、これと密接に関連する治安維持法の諸規定(第1条〜9条)は、ポツダム宣言受諾により効力を失ったと解すべきものである」。また、「治安維持法の諸規定のうち、私有財産制度の否認に関わるもの(第10条〜13条)については、占領管理法令としてのポツダム宣言10項にいう『言論、宗教及思想ノ自由……ハ確立セラルベシ』との規定と抵触する疑いが極めて強いものである。したがって、それらの規定もまた、その点においてポツダム宣言の受諾により失効したと解すべきものである」としており、これは、横浜事件決定の見解と「その基礎を同じくするものである」(横浜事件決定)。 以上から、ポツダム宣言の受諾によって、治安維持法は実質的に失効したと解すべきである。 (4)前記横浜事件判決が摘示するとおり、1945年8月14日、ポツダム宣言の受諾により、同法は実質的に失効したのであって、ポツダム宣言受諾時点において、国の行なった申立人の拘束、処罰等は国内法秩序に照らして違法と評価されるに至ったというべきである。 そして、治安維持法は手続的にも、1945年10月15日廃止され、1946年11月3日公布の現行憲法は、公務員の憲法尊重擁護義務を明定した(憲法99条)。その結果、現行憲法が施行された1947年5月3日の時点において、国には、治安維持法違反を理由に申立人を拘束し、処罰したことに対する何らかの救済措置をとるべき作為義務が生じたというべきである。(つづく) [朝鮮新報 2005.4.20] |