〈東京朝鮮第2初級学校土地問題裁判〉 田中宏教授の意見書提出 |
東京都の不当な訴えから始まった東京朝鮮第2初級学校の土地問題をめぐる裁判が現在、東京地方裁判所で係争中だ。20日に行われた第9回口頭弁論で、学校側弁護団は龍谷大学の田中宏教授(一橋大学名誉教授)の意見書を提出した。意見書は在日朝鮮人の民族教育の権利について言及されたもので、これにより初めて法廷で民族教育権が問われることになる。主張のポイントになる部分を紹介する。 はじめに 東京都は、「東京朝鮮第2初級学校」(以下、枝川朝鮮学校)の校舎の一部を取り壊し、校地の一部である都有地を返還すること、および1990年以降の使用相当損害金として、約4億円を支払うこと―を求めている。同校には約60名の朝鮮人児童が現に学んでおり、都の要求は、これら児童が受けている「民族性を備えた普通教育」の機会を奪うことであり、重大な問題をはらんでいる。 1、「原状回復」義務と在日朝鮮人の民族教育 日本の植民地支配下の「皇民化教育」や「創氏改名」などで民族性を否定された在日朝鮮人は、奪われた言語、文化、歴史、民族性の復権という難事業にこぞって取り組んだ。日本各地に「国語(朝鮮語)講習所」が生まれ、やがて朝鮮学校へと発展していった。本件の枝川朝鮮学校は、1946年1月15日、「枝川隣保館」内に国語講習所として発足した。 在日朝鮮人の民族教育は、まさに、「日韓併合なかりせば、有したであろう民族の言葉や文化を回復する営為」であり、それを保障することは、カイロ宣言にあった「奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由かつ独立のものとする」ことを、日本国内で実現することをも意味することとなる。しかし、朝鮮学校に対する日本政府の政策は、これらと相反することは明らかである。 2、文部次官通達の「思想」と自治体の認識 1965年12月、文部省の文部事務次官通達「朝鮮人のみを収容する教育施設の取扱いについて」は、「民族性または国民性を涵養することを目的とする朝鮮人学校は、…各種学校として認可すべきではないこと」とした。 しかし、美濃部東京都知事は1968年4月、法に基づいて朝鮮人学校を「各種学校」として認可した。いまでは、すべての朝鮮学校が各知事によって認可されている。したがって、文部次官通達の前述の部分は、すでに死文化したといえよう。さらに、地方自治体レベルでは、外国人学校への助成も行われるようになった。これらは、外国人学校での教育が「普通教育」として認識されていることを示している。 3、進む「外国人学校」の認知 外国人学校への冷遇策の一つに、その卒業者に日本学校(大学や大学院)への入学資格を認めないという問題があった。だが、文部科学省は1999年には大学院の、2003年には学部の入学資格問題について方針変更を余儀なくされ、問題は基本的に解決された。このことは、外国人学校卒業者が日本の高校卒業者と「同等以上の学力がある」と認められたことを意味し、外国人学校の教育がもつ「相当性」が承認されたことになる。 限られた一部の外国人学校が税制上の優遇措置を受けている。財務(大蔵)省は、二つの税制上の優遇措置(特定公益増進法人、指定寄付金)において、「初等教育又は中等教育を外国語により施すことを目的」とする学校、または「(日本の学校)の行う教育に相当する内容の教育を行う」学校は、いずれも正規校(1条校)と同等の教育、すなわち「普通教育」を行っているとの認識に立っていることになる。 4、外国人の「教育への権利」と国際人権法 社会権規約(A規約)13条、児童の権利条約28条1項は、「国民」ではなく「すべての者」について教育への権利を保障している。憲法26条の「国民」がもっぱら「日本国民」を指すとする文部当局の認識と、国際人権規約及び児童の権利条約がともに「すべての者」の教育について規定していることとの乖離は明らかである。 5、結びにかえて 本件訴訟における、枝川朝鮮学校で行われている民族性を備えた普通教育は、歴史的に見ても、国際人権規準から見ても、人権として保障されなければならない。本件訴訟の核心は、結局のところ、人格形成の基礎である「普通教育」を行っている枝川朝鮮学校に現に学んでいる子どもたちの「教育への権利」を奪うことにほかならない。東京都の形式的な請求は、子どもたちの権利を奪うに値するものとは考えられない。歴史の歯車を逆に廻すことがあってはならないのだ。 [朝鮮新報 2005.10.28] |