〈東京朝鮮第2初級学校土地問題裁判〉 不当提訴から2年 民族教育権、必ず勝ち取る |
団結強まる同胞、日本市民 東京都が東京朝鮮第2初級学校(東京都江東区)に対し土地の明け渡しなどを求めて提訴してから15日で2年が経過した。裁判では、都の訴えの不当性が次々と明らかになる一方、同胞や市民の間では同校に対する支援の輪が広がっている。学校関係者と支援者らは、来年中には必ず解決したいと決意を固めている。 不当性裏づける資料、証人も
東京都は2003年12月15日、東京第2初級に対し、同校が校地として使用している約4000m2の都有地の明け渡しと、1990年4月以降の使用相当損害金として約4億円の支払いを求め、東京地裁に提訴した。 同校は、都側と72年に交わした契約に基づき1990年3月まで土地を無償使用した。 同契約書には、契約終了後「学校用地として継続使用する必要がある場合は協議し善処したい」と明記されていた。同校は交渉を前提に土地を使用し続けたが、92年から交渉は途絶えた。 2000年、枝川地区住民に対する居住地の払い下げに伴い、01年2月から都職員の要請で交渉が再開された。 同年5月の交渉の場で、港湾局課長は交渉中断について謝罪し、過去の賃貸問題に対しては請求をしないことを表明。同年9月の学校訪問時には、住民たちと意見交換し、歴史的経緯を尊重し、住民の払い下げ条件に添った形で払い下げを検討するとした。
しかし、2003年8月、自称区民の元都議ら3人の監査請求を機に、都は態度を一変。「交渉での解決は無理」と一方的に交渉を打ち切り提訴した。 裁判に入ると、都側は「資料がみつからない」「担当者が死亡した」などとして、あたかも事実が明かされるのを恐れるような姿勢を見せた。また、校舎と運動場の上に「道路がある」と不可解な主張もしている。 原告の理不尽な態度に「都側は上層部の圧力と市民らの反発の狭間で自ら矛盾を感じているはず」と指摘する傍聴者もいた。 学校側弁護団は、都が無償貸与を検討していたことを示す証拠などをすでに突き止めた。今後、裁判官を現地(同校)に招いて説明する機会を設けるよう申請する。また、1990年3月末までの無償使用と以降の取り扱いに関する契約が交わされた72年当時の同校教育会の関係者を証人として申請する。 民族教育権、初めて法廷で 学校側弁護団は、民族教育権の法的、歴史的根拠について再三説明し、在日朝鮮人子女たちが民族教育を受ける権利を持っていることを強く主張してきた。 10月20日の第9回口頭弁論では、民族教育の権利を主張する学者の意見書を提出した。これにより初めて法廷で民族教育権が問われることになる。 日本と東京都(当時は市)の政策によって無理やりこの地に移住させられた枝川の同胞たち。子どもたちに民族の言葉と文化を教えようと学校を建て、民族教育を発展させてきた。学校はそんな同胞たちの生活と運動の拠点であり、心のより所でもあった。 枝川裁判は単なる土地問題ではない。在日朝鮮人の地位、朝鮮学校の処遇、民族教育の権利が問われている。日本が過去に犯した罪に対しどう責任をとるのか、基本的な人権問題をどう扱っていくのか―日本の将来像が示されると言っても過言ではない。 「学校守る」きずな深い 11月27日に同校で学芸会とジョイントコンサートが同校と中央江東青商会、朝青中央江東の主催で行われた。公演では同校生徒たちが朝鮮の歌や踊り、チャンダンを披露。オモニたちと朝青員、日本人らが歌やチャンゴを披露した。学父母や日本市民、南朝鮮からの支援者らが観覧した。 孫の晴れ姿を見に鳥取から駆けつけたという崔三順さん(64)は「民族の心を受け継いでいる姿に涙がこぼれた。遠くから来たかいがあった」と語った。 南朝鮮から来たある男性は「こんなに立派な子どもたちの学び舎が奪われようとしている現実を知らなかったことが申しわけない。できるかぎり支援をしたい」と語った。 実行委員長の徐栄錫・中央江東青商会会長は「地域の同胞だけでなく、日本人や南の同胞も見に来てくれた。ウリハッキョのすばらしさを感じてくれた」と語った。 「裁判が行われているが地域の同胞のきずなはより深まっている。ウリハッキョをみんなの力で守っていきたい」(徐会長) (李泰鎬記者) [朝鮮新報 2005.12.22] |